ふと気がついた。
能力が発揮できるのって、
ものすごく条件が満たされていないと
できないんだな、と。
たとえば私の場合、
日本語が通じないと、いきなり
ほとんどの長所が発揮できなくなる。
言葉で励ますことも、
アイディアを伝えることも、
極端に制限される。
74億人を超える世界の人々の中で
日本語が伝わるのは、せいぜい数億人。
そんな、メッチャちっちゃいところで
ワタシはドヤ顔をしているワケだ。おはずかしい。
そして、私が自分の能力が発揮できるためには、
もっとたくさんの条件がそろっていないとできない。
例えばこうやって
あなたに考えを読んでもらうためには、
最低でも、
・日本語がうてるパソコンがあり、かつ
・ネット環境が整っていて、かつ
・発進する場(フェイスブックブログやメルマガ)があり、かつ
・文字をうつことができる指と健康があり、かつ
・思考回路が正常に働く日常があり、かつ
・時間があり、かつ
・誰かが読んでくれるという信頼がある。
という条件がひとつでも欠けたら、
途端に発信ができなくなる。
おそらく、挙げていったら
「コレが欠けたら、もうお手上げ」
という要素は、もっともっとあるだろう。
そして。
それはたぶん私だけじゃなくて
他の人にも言えるのかな?なんて思う。
自分の能力を発揮するために、絶対に必要な道具。
自分の能力を発揮するために、絶対に必要な環境。
自分の能力を発揮するために、絶対に必要な人。関係性。
自分の能力を発揮するために、絶対に必要な心身状態。。。
そんな絶対条件は思っていたよりも多くて、
いかに自分が普段、その絶妙な条件の中で
甘やかされているんだなぁ、と振り返った。
「私は、○○ができる」
「○○が得意!」
とプライドを持つことは大切。
ただ、反面、
その「できる」は、おそろしく多くの条件がそろった時に
はじめて発揮できる、ということを
たまに思い出すことは、悪いことじゃないと思うんだよね。
それが傲慢さや油断を見つめなおし、
自分を研ぎ澄ませ、感謝を湧き上がらせることにつながる。
私はアマノジャクなので、
「日々に感謝しよう!」
「とにかくカンシャカンシャ!」
みたいなのは、
なんとなく薄っぺらい感じがして性に合わない。
でも。
「私が私でいられる絶対条件」
を数え上げてみると、その多さに驚く。
なんとまぁ、不安定な積み木が重ねられた上で
生かされているんだな、なんて思えてくる。
そんな風に自覚すると、
今の自分ができることをやることに、
また別の思いが、じわりと胸に広がる。
さてさて。
あなたがあなたでいるために、
あなたの「できる」ができるために、
どんなものたちが支えてくれていますか?
いつも支えてくれて、ありがとう。
ではでは。