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1つ上から目線。

今日の記事は、読む人を選んじゃうかな?
でも後半は、全員に当てはまると思いますー
 
 
さて。
 
ワタシの変わり者の人格形成に
ものすごく強く影響しているもののひとつに
 
「株式取引」
 
がある。
 
(知らない人も増えてきたけど、
 ワタシはトレーダーです、もともとは)
 
 
 
自分の利益という個人的欲望のために
様々な判断をする。
 
そこは、完全に自分の見方が反映してしまう
エゴイスティックなものだ。
 
 
 
しかし、
 
 
反面、実際の株のトレードになると、
 
 
「大きな流れには、逆らえない」
 
「思惑と逆の流れになることはザラ」
 
 
という現実が待ち構えている。
 
 
 
そこには、毎日のように自分を否定され続け、
自分の浅はかさを思い知らされる世界がある。
 
 
 
取引の99.9%は、
 
 
「あの時、もっといい判断をしておけば
 損をしないで済んだのに」
 
か、
 
「あの時、もっといい判断をしておけば
 もっと利益を出せたのに」
 
 
という後悔でできている。
 
後悔の念が湧き上がらない取引は、ほぼない。
 
 
 
 
そんな日々の取引をしているせいなのか、
いつのまにか日常でも
 
  
「ものすごく主観的で熱い自分」
 
と、
 
「とんでもなく客観的で冷めた自分」
 
 
が同居するようになってしまった。
 
 
良いのか悪いのかは、自分でも分からない。
 
 
 
 
ただ。
 
「これは、よかったな」
 
と思うことがある。
 
 
 
それは、
 
「自分と逆の意見の人を普通と思える」
 
ということ。
 
 
 
 
だって、
 
 
株式の売買って、ワタシが
 
 
「その株、欲しい!買いたい!」
 
と思っている時に
 
「もういらん、売るわ」
 
 
という人がいないと、買えないのだ。
 
 
 
 
ワタシが
 
 
「売りたいです」
 
と言う時に
 
「欲しい欲しい!買いたい!」
 
 
という人がいないと、売れないのだ。
 
 
 
そして、目指しているのは全員
自分(側)の利益なのだ。
 
 
 
同じ株価を見て、
意見が違う人がいないと、売買が成立しない。
 
 
みんなが「欲しい欲しい!」となっているのに
一人も売る人がいなかったら、値段がつかないのだ。
 
 
 
そんな世界に、ふだんからどっぷり。
 
 
なので日常でも、
 
 
「うわ!全然違う意見だわ」
 
 
という人に出くわしたとしても、
 
 
「あー、ワタシとは
 違う役割を担ってくれているんだな」
 
 
と、思いやすくなっている。
 
(※ いや、イラっとすることとは別で)
 
 
 
 
さらに言うと、
 
「自分と利害関係が逆」
 
「なにかと敵対する」
 
という人も「まぁいいか」と思いやすくなっている。
 
(※ いや、イラっとすることとは別で)
 
 
 
 
株式の世界では、
 
自分が利益を出しているということは
必ず誰かが損をしていることであり、
 
自分が損をしているということは、
必ず誰かのふところに自分のお金が入っていること。
 
 
 
なので、これ以上シンプルな利害関係の
ぶつかり合いはない。
 
 
 
そうなんだけれど。
 
 
ひとつ、視線を上げてみると、そこには
 
 
「株式取引をしている仲間」
 
 
という共通項が見えてくる。
 
 
同じリスクを背負い、
同じ喜びと苦痛を知っている仲間なわけだ。
 
 
そこで、バチバチぶつかっているのが日常、
というわけ。
 
 
 
これは株だけじゃないだろう。
 
 
 
スポーツの世界でも、
敵チームとの勝敗はある。
 
でも、そのスポーツをやっているという意味においては
同志以外のなにものでものない。
 
 
 
ビジネスでも、
同業他社とは利害関係がぶつかり合う。
 
でも、同じ業種で努力しているという意味においては
同じ気持ちを抱えている仲間なのだ。
 
 
 
友達でも、恋人でも、地域の集まりでも、
なにかとぶつかり合う人はいるだろう。
 
でも、ひとつ上の目線に移したら、
「そこ」で同じ喜びと悲しみを共有して、
同じ生き方を選んでいる同士ともいえるはず。
 
 
 
 
そう、なので。
 
 
  
イラっとしたら、
 
ひとつ上の目線に移してみる。
 
 
そこで相手を見下げるのではなく、
自分と相手を同時に俯瞰して見る。
 
 
 
すると、
 
 
「なぁんだ。同じものを大切にしてるやん」
 
 
と思えて、少し気が楽になるかもしれない。
 
(※ いや、それでもやっぱりイラっとすることとは別で)
 
 
 
 
 
上から目線で、自分のいるコミュニティー全体を
客観視してみる。
 
 
すると、そこには
 
今までイラっとする敵対者でしかなかった人が、
実は同じ道を歩む同志だったという事実が見えてくる。
 
 
もちろん、その後も
バチバチ、イライラするかもしれないけれど
あとで振り返ってみたら
 
 
「ああ、それだけ本気だったんだな」
 
 
という思い出が描かれるかもしれない。
 
 
 
、、、と、
 
こんなこと書いているワタシ自身が
一番グネグネしているんだろうけれどね。
 
 
普段から、つねにこんな風に考えられたら
もっと人格者になっているんだろうなぁぁぁぁあああ!!!
 
 
 
 
 
ではでは。

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