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キーボードに社会を見る

最近、
 
「経路依存性(けいろいぞんせい)」
 
という言葉を知った。
 
 
 
経路依存性っていうのは、
制度や仕組みが過去の経緯や歴史的な偶然などによって
拘束(ロックイン)されることらしい。
 
 
 
 
たとえば、現在みんなが一般的に使っている
キーボード。
 
(一般的に“QWERTY配列”って言われているやつね)
 
 
このキーボードの配列って、
別に人間工学に基づいて作られているわけでは
ないんだってね。
 
 
いくつかの理由があるんだけれど、
 
「昔々のタイプライターで、連続したキータイプをしても
 タイプライターのバーが絡まないようにするため」
 
だったりする。
 
 
 
さらに利己的な理由としては、
 
「当時タイプライターの売り込みをするために
 ”typewriter”
 という文字を、素早く華麗に打つため」
 
なんていうのもある。
  
 
 
言われて見ると、”typewriter”に使われる
アルファベットは、全て2段目に配列されてるね。
 
 
 
 
 
そんな、ある意味「適当」に配列されている
キーボードでも、一度作られてしまうと、
 
「新しく覚えるのが面倒くさい」
 
「別に今のままでいいんじゃない?」
 
という状況になり、なかなか変える事ができない。
 
 
そんな状況を「経路依存性」と呼ぶみたいだね。
 
 
 
 
もちろん、今までに
 
「既存のキーボード配列は使いにくい!」
 
「打倒!“QWERTY配列”!」
 
なんていうことに挑戦した人や企業は
いくつかある。
 
 
 
「人間にやさしいのは、Dvorak配列だ!」
 
「フランス語なら、AZERTY配列ザンス!」
 
「日本語打つなら、親指シフト配列を!」
 
 
 
しかし、そんな挑戦もむなしく、
現在一般的に広まっているのは
“QWERTY配列”に軍配があがってしまう。
 
 
 
なんで、“QWERTY配列”に勝る事が出来なかったか?
というと、結局は
 
「新しく覚えるほどの魅力は、なかったから」
 
ということだと思うんだよね。
 
 
 
どんなに
 
「人間工学に基づいていますよ」
 
「こっちの方が、覚えたら早く打てますよ」 
 
と言われても、“QWERTY配列”の延長線上にある
新しいキー配列では、その牙城を崩せなかったんだよね。
 
 
 
 
 
で。
 
 
 
これって、たぶん、これからの社会にも
言えるんじゃないかなぁ、なんて思ったわけ。
 
 
今、日本では衆議院の選挙戦がはじまっていると
言っていい。
 
 
「こっちの政党の方がいい」
 
「こっちの候補者の方がいい」
 
 
なんて色々議論されているし、
その白熱した議論に、とやかく言うつもりはない。
 
 
 
 
でも、
 
たぶん日本や世界を大きく変えるには、
もう少し時間が必要なのかもしれない。
 
 
今現在議論されているのは、
既存の仕組みの中で、
 
「どうやって変えていくか?」
 
という議論でしかない。
(日本に限らずね)
 
 
 
さっきのキーボードで言えば、
 
「どこにAのキーを持ってきて、
 どこにTのキーを持ってくるか?」
 
という議論でしかない。
 
 
 
 
これが例えば、
 
「文字はキーボードで打つ」
 
という常識自体がひっくりかえったら
また全然新しいものが生まれ、
「経路依存性」は発生しなくなる。
 
 
スマホの文字入力なんかでは、
それに近いことが起きていると思うんだけれど
あなたはどう思うだろう?
 
 
 
 
キーボードがスマホに変わるような変化。
 
 
封建制が、共和制や民主制に変わるような変化。
 
 
 
そんな変化が起こった時に
旧体制の利権や、経路依存性が崩壊し、
様々な拘束が見直されていくのかもしれないね。
 
 
 
資本主義、民主主義を当たり前と思っている私たちが、
新しい時代を迎える日が来るかもしれない。
 
 
それはきっと、政治家だけで作り上げるのではなく、
人間が100%意識して出来るものでもなく、
 
その時に生きる全ての人と、
時流によって構築されて行くのかもしれない。
 
 
 
キーボード配列から、大げさな話になってしまった。
 
こんな大げさな話をしている私自身は、
実は、完全な政治オンチです(笑)
 
 
ではでは。
 

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