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現実と期待の不等号。

例外もたくさんあるけれど、
感情の多くは「期待」から生まれてくると思う。
 
  
人に優しくされたらいいな、とか、
夢がかなうといいな、
お金持ちになれたらいいな、とかいう期待もあるし、
 
注文はミスなく運ばれてくるはずだ、とか、
メールを送ったら返信があるのが当然だ、とか
政府は国民を守るべきだ、とか
そういうのも本人が勝手に「期待」していることだったりする。
 
 
ものすごく乱暴に分けるのならば、
 
 
喜→ 現実 > 期待
 
怒→ 現実 < 期待
 
哀→ 現実 ≠ 期待
 
楽→ 現実 ≒ 期待
 
 
みたいになるのかもしれない。
(異論は認めまくる)
 
 
 
なので、考えてみると
相手に怒りをぶつけるのは
 
「勝手に期待していたことが
 うまく行かなかった自爆」
 
なので、本来からすれば全て自業自得。
仮に相手側に悪意があったとしても。
 
 
そして、世の中で起こることへの
自分の中の期待値を下げれば、
 
「え?よく間違わずにオーダー運んでこれたね!」
 
「こっちが自分の都合でメール送ったのに
 よくぞ返信をしてくれたね!」
 
「ええっ!?今日も太陽が昇ったよ!
 めっちゃすごくない???」
 
みたいになって、感謝の頻度は増える。
 
 
 
なので、期待を下げまくって生きると
とても楽になる。
 
 
 
。。。んだけれど、個人的には
 
「でも期待しちゃうんだーーーーっ!!!!」
 
って、期待を大きく持った方が人間らしいんじゃないか?
なんて思っちゃう。
 
 
もちろん、
所かまわずに怒りの自爆をしまくったりする人は
付き合いにくいし、離れたくなる。
 
また、人への感謝を持って日々を過ごしていきたい
という想いもある。
 
 
 
ただ、その上で。
 
 
大きな期待を胸に毎日を生きる方を選択する。
だって期待を持たない限り、現実は動かないのだから。
 
 
現実と期待のうち、
期待を小さくする方が、たしかに簡単だ。
 
人に攻撃的になるくらいであれば、
その期待は見直せばいい。
 
 
でも、
 
現実 < 期待
現実 ≠ 期待
 
を、
 
現実 > 期待
現実 ≒ 期待
 
にしたいのであれば、
期待を小さくするだけが唯一の方法じゃない。
 
 
そう、現実を大きくすればいい。
 
 
そこに行きつくためには、
怒りを覚えることもあるだろうし、
哀しみに見舞われることもあるだろう。
 
 
でも、その怒りや哀しみの矛先を
誰かに向けるのではなく、自分を昇華させるために向ければ
現実を変化させる原動力にもなる。
 
 
期待を人でなく、自分に向ける。
 
 
それは何度も裏切られることになるだろうけれど、
そうすることで、自分が大きな「器」を
持って行けるようにも思う。
 
 
自分の中に「期待」という大いなる
マグマのようなエネルギーを内在させて、
外面は穏やかでいる。
 
そうすれば、大地のような人格に
向かうことができるんじゃないかな?
 
 
 
ま、もちろんワタシは人間なので、
 
「そんなカンタンに行くかー!!!」
 
と書いている今ですらツッコミを入れたくなる。
 
 
 
ただ、
 
「期待を小さくして生きましょう」
 
よりも、
 
あっちにぶつかり、こっちにぶつかりながら
自分の中にある期待を持て余しながら、
現実に向き合ってゆく方が、小さくまとまらない気がする。
 
 
なにより、せっかく生まれてきて
生きているのだったら、
泣いたり笑ったりしている方が、後悔がないんじゃないかな?
 
 
大きな期待を胸に。人にやさしく。
期待するのは外でなく、内。
 
 
 
今年も、人間らしく生きていきたいと思いまする。
 
 
 
ではでは。
 
 
 
 

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