なんとなく書きたくなったので
つらつらと書くけど。
あくまで私のイメージの中では。
あの世、もしくは大宇宙の先には
たとえて言うと大きな大きなプール?釜?
みたいなものがあり、そこには
「光の水」
が、たゆたっている。
光の水は、それ自体がほのかに光を放っていて、
水のようにつねにゆらいでいる。
そこに、偉大ななにものかが
耳かきよりも小さな匙で、
その光の水を、ほんのひとさじ地球や宇宙にたらす。
そして、たらされた光の水は
そこから「魂」と呼ばれるものになり、
地球であれば、大地に根付く何かと融合して
生命(あるいは無生物)となって
「今回の一生」を始める。
使命をまっとうするために。
—
魂と呼ばれるようになった光の水の使命は、
「輝きをみがくこと」。
「役割を果たすこと」。
そして、そのみがき方は千差万別。
光の水だった、ある一滴の魂は
花をやるかもしれない。
またある一滴は、毒蛇をやるかもしれない。
ある一滴は、岩をやるかもしれない。
ある一滴は、製品をやるかもしれない。
もちろん、ある一滴は人間をやるかもしれない。
そして、人間の中でも、
多くの人に素晴らしい影響を与える
偉人をやる一滴もあるだろうし、
誰からも見向きもされない人をやる、
そんな一滴もあるだろう。
私は今回はイグゼロという人間をやっているし、
あなたはあなたをやっている。
目を向ければ花をやっている一滴もあるし、
あなたの目の前には、今まさに
モニター画面かスマホをやっている一滴もある。
すべてのものが、魂と呼ばれる
光の水と、大地との融合なんだろう。
いずれにしても、
自分が「やる」役割の中で輝きをみがくこと。
それを自らに課している。
みがき方は、
現世の世界を自らに取り込むこと。
それによって、魂と呼ばれる一滴は
一時的には削られるようなこともあるけれど、
でも、みがかれてゆく。
体験は、削り、みがき、輝きを増すためにある。
もちろん、すべての体験が輝きを増すことに
直結しないことも多いのだけれど。
みがくことを怠ることもできる。
役割を放棄することもできる。
でも、本来的には、根源的には、
森羅万象のどれもが、本当は、
「輝きをみがくこと」。
「役割を果たすこと」。
の重要性を知っている。
だから、みんな真の快と、偽の快を
なんとなく分かっているし、
できることなら、真の快に行きつく
存在でありたいと願っている。
花も、毒蛇も、岩も、製品も、人間も。
—
そして、万物はやがて今回の生を終える。
終えるとどうなるのか?
この大地での「かたち」はなくなり、
魂と呼ばれていたものは、また光の水が蓄えられている
プール(のようなもの。イメージ的には球なんだけど)
に戻ってゆく。
そこで、他の光の水の中に交ざってしまえば
どこからが今まで「私」だったもので、
どこまでが今まで「私」だったのかは、
もはや分からなくなる。水だからね。
すべてが「私」だったとも言えるけど、
そもそもそれを明確にする意味などない。
そんなことが宇宙(と言うのが適切かわからないけれど)で
毎秒毎秒、何億回、何兆回も繰り返されて、
「生」と「死」が続いて行っている。
なので、前世は、この宇宙にあるものすべてだし、
来世は、この宇宙にあるものの、どれかの役割だ。
なにかの要素が濃い、とかはあるかもしれないけれど、
そんなのは、全体から考えれば些末なことだ。
水に境界はないのだから、
すべてであり、すべてじゃない。
—
ではなぜ、そんなことが営々と繰り返されているのか?
それは分からないけれど、
きっと、全体として光の輝きを増したいという
大いなる意志があるんじゃないかな?と思う。
それがうまくいった一滴もあるし、
そこまでうまくできなかった一滴もある。
でも、そんな一滴一滴がどうだったか?
なんてことはどうでもよくて。
光の輝きを増す方向に意志があり、
間違いなく、その意志どおりに
光は着実に増しているのだろうな、なんて思う。
大いなる存在のすべての意図なんて
知りようもないし、知ったらその瞬間
廃人になるほどの狂気に襲われるだろう。
だから、それはどうでもいいとも思う。
その上で。
今回はせっかく人間を、イグゼロをやることになっているので、
その中で、生まれた時よりは光をみがいてから
この現世からオサラバできればな、とは思う。
俗の欲にまみれているけど。
まみれているからこそ。
できることをやれればな、なんて思う次第でごりんす。
—
完全なる妄想の話、
お付き合いくださってありがとうございました。
あなたの世界イメージは
どんなものですか?
ではでは。