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あのころの未来に ぼくらは立てていなくても。

先日、旧友と久しぶりに会ってきた。
リアルでサシで会うのは、もう十数年ぶりだった。
 
当時はインターネットで株式投資を教える会社で
彼はウェブデザイナー、そして私は
スケジュール管理からライティングまで
いろんなことをやっていた。
 
仕事の帰りなんかには、
ちょいちょい飲みに行って、
これからの未来を語り合う。そんな仲。
 
 

 
 
会う前のメッセージで
 
「今も変わりなくウェブデザイナー?」
 
と聞くと、
 
「いや、今は京都でカフェをやってるよ」
 
との返事。
 
 
え?京都?カフェ?
 
 
と、まったく予想もしていなかった返しにとまどいつつも、
ちょうど京都に行くタイミングだったので、
彼のお店に立ち寄ることにした。
 
 

 
 
入り口をくぐると、シックな店内で、
スタッフの方がスマートに接客をされていた。
 
 
店内に目的の彼がいなかったため
なんと言って伝えてもらおうか、と思案していると、
 
「お、久しぶりです」
 
と、店の奥から彼が顔を出した。
 
 
 
カウンターをはさんで、
彼が丁寧に淹れるコーヒーを待つ。
 
十数年前には、予想もしていなかった光景だ。
 
 
「どうぞ。」
 
 
と、置かれたカップには、
「Ave Maria」と書かれていた。
 
 
「うちは、豆の原産地や種類なんかの情報は
 一切、伝えてないんですよ」
 
と彼が差し出したメニューには、
 
Unable Control , Nothing to Lose ,
Take it Easy , Stand by Me….
 
といったメッセージが記されていて、
それが「苦い、フルーティ」「ユニーク、リッチ」
のマトリックス上に散りばめられていた。
 
 
「コーヒー通の人には、
 物足りないかもしれないけれど…」
 
と照れ笑いながらも、その顔には自信が
ほの見えていた。
 
 

 
 
そこから互いの近況を話している中で、
彼がなぜコーヒー店を始めたのか?
そしてなぜ京都を選んだのか?
 
また、どういう戦略をもって
デザイナーから転身したのか?
 
 
といったことを話してくれた。
 
 
以前から、きわめて明晰な頭脳に
何回も舌を巻いてきたのだけれど、
その戦略性は今も健在だった。
 
 
 
そんな中、思い出してきた。
 
 
「そういや、出会ったころから
 飲食店をやりたい、って言っていたもんね」
 
私が言うと、
 
「そうだね。コーヒー店になるとは
 思ってなかったけれど」
 
と、彼は微笑んだ。
 
 
 
 
ああ、そうなんだな。

と、思った。
 
 
 
私たちは、みんな齢をとる。
それは、避けられない。
 
でも、だからこそ、
ある程度の年齢まで行ったら、
夢をかなえながら生きる方がいい。
 
 
その夢は、当時描いていたものと
少し違うかもしれない。
 
何回も上書き更新してきた結果かもしれない。
 
 
ただ、その幾重にも重ねられてきた層が、
他の誰にも真似できない夢の具現化になる。
 
 
 
彼が実現したカフェは、
 
デザイナーのセンスと、
ビジネスの戦略性と、
こだわりと、現実性、
 
それらすべてが煎られ、抽出された
「珠玉の一滴」なのだ。
 
 

 
 
いくつになったら、と決めるつもりはない。
 
 
ただ、
 
「あなたの夢は何ですか?」
 
という問いに、いつまでも
ふところ具合と相談しながら夢想するより、
 
「もう、やってるよ」
 
と言える方がいいとは思う。
 
 
 
命は、思っているより短い。
 
そして、それ以上に
思っているより一発逆転は起きない。
 
 
人とのつながりも、
 
金銭的なことも、
 
健康も、
 
 
今、できていないことを
今の延長線上でかなえることは
どんどん難しくなってゆく。
 
 
だから、
 
夢をかなえながら、生きる。
 
そしてその上でまた、
次の、別の夢を描いてゆく。
 
 
そんな生き方を選んでみても、
もういいのだと思う。
 
 
あなたが今、何歳であったとしても。
 
これを読んだってことは、
もしかしたら、そんなタイミングなのかも
しれないのだから。
 
 
あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ…
 
 
そんなフレーズに
胸をチクリと刺されなくて大丈夫。
 
 
 
立つことができる。
 
夢は誰かが見たあなたの姿ではなく、
あなたが見るあなたの姿なのだから。
 
 
ではでは。
 
 

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