正直に告白してしまうと、ワタシはけっこう
「イラッ」とするタチだ。
普段、
「人は、どう生きてもいいんやで」
と言っているくせに、
ニュースや、他の人の発信を見ると、
「ちょ、待てよ!なんやそれ!」
と、心の中では色々とツッコミをいれてる。
実際のところは、
「人は、どう生きてもいいんやで。
(イラっとしないとは言ってない)」
って感じだ。
ただね。
そのイラっとする人や言動って、
たぶん他の人から見ると
「イグさん、同じこと言ってますやん」
「ざっくり分けたら、同タイプですやん」
ということが圧倒的に多いに違いない。
方向性も、発信している内容も、
ライフスタイルも、理想も。
きっとワタシとはまるで違う人から見たら、
「え?同じじゃないの?」
「何が違うの??」
と驚愕するに違いないであろう
ささいなところでイラッとしてると思う。
自分でも、どこが「イラポイント」なのか
分からないことも多い。
「うん、言ってること、合ってるよなぁ」
「そうそう。そうだよね」
「、、、でもなぁ。。。」
「アナタが、それ言っちゃう?」
と、なーんか不思議な違和感を
感じたり感じなかったり感じたり。
、、、まぁ、ワタシの発言も
誰かにとっては同じなんだろうけれどね。
ホレホレ!
ゥフヘヘーィ!(←挑発)
で。
そんな、ささいな違和感。
なーんか違う感。
定規で測ったとしたら、ミリ単位であろうズレ。
この「ミリズレ」は、
自分の中で大切にしたいんだよね。
その「ミリズレ」は、
私がこれからどう生きるのかの人生航路を、
より繊細に微調整してくれているのだから。
その「ミリズレ」は、
今はたった1ミリ、1度のズレかもしれない。
けれど、何十年もの旅路の中では、
到達する場所をまるで変えてしまう
大きな大きな差になるだろうから。
「この人とは違うな」という、
ほんの、ほんのささいな違い。
そんなの、あって当たり前なのだ。
きみはきみでぼくはぼく。
あたりまえたいそう。
その上で。
「この人とは違う」は、
より明確に「私」を浮き彫りにしてくれる。
それがミリのズレであるからこそ、
自分という彫刻が細部まで磨き上げられる。
だから。
自分が何かしらで「イラッ」とした時には、
「ああ、これミリズレとちゃうん?」
と思い、自分の中で対話してみる。
相手に直接攻撃しても、まったく意味はない。
「なんでキミは、ワタシじゃないのかね?」
という、ワケのわからないイチャモンに
なってしまうからだ。
そうではなく、
自分の心のひっかかりをなめらかに研ぐ
サンドペーパーのようにして、
自分自身に問いかける。
何かあるからトゲトゲしてるんだから、
自己の中にとどまらせて、
ずっと語りかければいいのだろう。
そして一方で、
「このミリズレ、他の人から見たら
差が分からないくらい同じなんだろうなぁ」
と俯瞰して見てみる目も、あっていいように思う。
情報が溢れかえる世の中で、
自分がキャッチし、
あろうことか感情まで動かせてしまっている。
そんなん、自分の中にある同様の何かがない限り
意識すらせぇへんで。
同調、反発、投影。
その正体が何であろうとも。ね。
ってなワケで。
今日も涼しい顔で
「人は、どう生きてもいいんやで」
と言いつつ、
誰にも頼まれてないのにミリズレをみつけては
「はぁっ!??」
として行こうと思います。(←小さっ!!)
ではでは。