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「本物とは?」への残酷な返答。

「本物とニセモノの違いって、何?」

という問いに、最もシンプルに答えると、

「誰、の違い」

となると思う。


ピカソが書いたから、ピカソの絵は本物で、
それ以外はニセモノ。

有名な陶芸家が作った陶器は本物で、
そうじゃなければニセモノ。

ココ・シャネル(の魂)が宿ったバッグは本物で
それをまねたものはニセモノ。

当人が作ったSNSアカウントは本物で、
誰かが写真や名前を騙ったのはニセモノ。

ってなるよな。


仮に、本物よりも手間暇かけて作り、
本物よりもクオリティが高かったとしても、
「誰」が違えばニセモノになる。それが世の常。


もちろん、最初はマネであっても
それを「自分のもの」とした人は本物だし、
名前が知られない本物もある。

誰かの歌を歌ったとしても、
それが芸にまで昇華すれば「本物」と言えるし、
本物のモノマネ師もいる。

また本物の八百屋さんもいれば、
本物の事務員さんもいる。


学ぶ際には必ず誰かのマネになるだろうし、
それ自体を否定なんてできない。

それらを踏まえて、今回の答えになっているのは
感じとってもらえるとうれしいっす。



そんでもって、さらに

「なぜニセモノが出てくるのか?」

というと、これもシンプルに言えば

「積み上げなくても得が手に入るから」

だ。

たいていはお金のため。
そのための前段階として信頼や人気を
トレースできるからだ。


ニセのブランドバッグを作るのは、
マネすれば信頼を盗むことができて、
それでお金を手に入れられるから。

SNSで有名人や美女のニセアカウントを作るのは、
それを使えば求心力を盗むことができて、
そこからお金を奪えるから。


で。

ここからが今回の本題なのだが。


これからの世の中、残念ながら
爆発的にニセモノが増える。
その中心的ツールは、AI。

AI自体はニュートラルな道具なのだが、
使う人がお金のために安易に使うと
いくらでもニセモノを量産することにも使える。


先日、とある有名人が
自分が話している動画を流していた。

前半は本人が語り、後半はAIで作った
いわば「ニセモノ」だ。
(この場合、ニセモノなのか?笑)

その動画を見ても、AIで作られたものと
本人が話しているのを見極めるのは
きわめて難しかった。

なので、この技術を流用すれば、
「ナンチャラさんが話している動画」は
ネズミ算のように増やしていけるし、
そうする人は増えてゆく。

おカネ、あるいはお金の前段階になるからな。


そして、今後はもちろん動画だけでなく、
絵も写真も文章もガンガン模倣の
ニセモノが作られてゆくし、

「こうやってAIを使えば、
ㅤシロウトのあなたも稼げる!」

と、ニセモノづくりを吹聴して稼ぐ人も出てくるので
さらに注意爆発!炎上無礼炎上!だ。


AIを活用すること自体は大賛成だし、
これからワタシが淘汰される側になったとしても
変化を歓迎する。

が、その上で。


自分の生き方の上では、
本物を目指すのか、ニセモノになるのかは、
選ばなくてはならなくなる。


商品も、作品も、発言も、これからはますます
「誰が」作ったのか、創ったのか、言ったのかが重要になる。

だからこそ、
あなたが「自分」になるのか「誰かのコピー」になるのかは
これまで以上に意識して選ぶ必要性が出てくるだろう。


そうしないと、学ぶ際の姿勢も、
「自分」になるための通過儀礼なのか、
「誰かのコピー」でお金を稼ぐためなのかで違ってくるだろう。

また、出会う人が俄然変わってくる。
そこはもう、類友の法則なので。


そう。

「自分」になるのは、大変だ。
ゼロから積み重ねないとなれないし、お金にもなりにくい。

「誰かのコピー」の方が簡単だ。
積み重ねなくていいし、お金になりやすい。


ただ、コピーの道を選んだ時には、3つの代償がある。


1つは、積み重ねられないこと。

手軽さを選んだのだから、それは当然だ。

「棚からボタモチの成功」はあるが
「棚からボタモチの成長」は、絶対にない。

ラッキーでお金持ちになることはあるが、
ラッキーで人間的成長を成し得た人はいない。

もちろん、どちらを選んでも、その人の人生だ。否定しない。
ㅤㅤ


2つ目は、本物を見抜けなくなること。

これも当然だが、
「オイシイ話はないかな?」
「コスパ、タイパがいいものは?」

というフォーカスを持って生きているのだから、
ニセモノのカモになる。

本物は基本、面倒くさい。
だからそれを避ける思考回路になる。


もちろん、生き方として
「自分は積み重ねず、他人の積み重ねはもらう」
こともできるけどな。

「楽してお金稼いで、本物のブランドバッグ持つわ!」
という人もいるだろう。

ただそれは、
アンタがバッグを持ってるの?
アンタがバッグにぶらさがってるの?

そして、その成功は、自分の成長のごほうびなの?
それとも、親の過去や自分の未来から借りているものなの?
という疑問は出てくるとは思う。
ㅤㅤ


ラスト3つ目は、死を迎える時の満足度。

「私は、有名人の動画をAIで作った人生に満足!」

っていう人は、それでいいと思う。
また来世、別のことをやってもいいもんね!
ファイトさん☆



さてさて。

じゃあ、ワタシはどっちなのよ?というと、
そんなんは分からない。

本物になろうと もがいているニセモノかもしれん。
それも、どちらかというと現時点ではニセモノ寄りの。


ただ、大量生産のニセモノを作る側にはくみせず、
そのニセモノたちを見て「ご苦労さん」と言いながら
挑戦している人でありたい。


まぁ、生き方の好みなので、どちらでもいいと思うけれど。


ではでは。

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