スポンサーリンク

『眠れない男』

男は恵まれていた。
 
 
この世のありとあらゆる美食を
毎日のようにほおばり、
 
 
豪華な腕時計、高価な装飾品、
オーダーメイドの服を身につけ、
 
 
一等地に建てられた自宅を
高価な絵画や美術品で飾り立て、
 
 
世界中を旅し、
美女をはべらせ、
 
 
多くの人を、自分の召使いのように
あごで使う毎日を送っていた。
 
 
 
男は若いころに、
すでに莫大な富を築いてしまっていたので、
どんなにぜいたくをしても、彼の資産は目減りしない状態だった。
 
 
男には、手に入らないものがなく、
男を知る人たちは、なんとか彼の資産の
「おこぼれ」にあずかろうと、必死に彼に取り入ろうとした。
 
 
 
 
彼自身も、ぜいたくが出来る毎日に満足していたし、
人生を謳歌できる幸運に酔いしれていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし。
 
 
 
彼には、誰にも言えない悩みが、たったひとつだけあった。
 
 
 
それは、「眠れない」ということ。
 
 
 
 
 
 
正確に言うと、眠れないわけではない。
 
 
ベッドに入り、目を閉じれば、
その日一日を終えて、夢の世界に行くことはできる。
 
 
だが、毎日夢に見る場所が同じで、
その場所では、とても安らかな眠りを満喫できないのだ。
 
 
 
いつ眠っても、うんざりするような夢がはじまり、
それは起きるまで続く。
 
 
 
 
男の唯一の望みは、
ただひたすら、安らかに眠る。
 
それだけだった。
 
 
 
 
 
 
夢の中の男は、現実の男と姿が違っていた。
 
 
現実の世界の男も、
けっして引き締まった身体はしていなかったが
夢の中は、もっとひどかった。
 
 
身体はブクブクとたるみ、
いたるところにコブ状のできものがあり、
頭の先から足の先までコブで覆われていた。
 
 
まぶたの上にもコブがあるため、
目もろくに開けることが出来ない。
 
 
 
いつも、重い身体をナメクジのように引きずりながらでしか
動くことすらできない状態だった。
 
 
 
 
 
 
 
夢で来る場所も、現実世界の自宅とは
まるで違うものだった。
 
 
 
狭く、暗く、薄汚れていて、
部屋にはゴミの山があふれんばかりに放置されていた。
 
 
 
朝、目が覚めるまで、
男はコブだらけの身体を引きずりながら、
この汚いゴミだらけの部屋で過ごさなければならない。
 
 
 
 
 
 
できることなら、眠りたくない。
こんな安らかじゃない眠りならば、いっそ寝ない方がましだ。
 
 
男は、眠らないで過ごすことができないかと
努力してみたこともあった。
 
 
しかし肉体の疲労は、彼をベッドに向かわせ、
自然の摂理のまま、休息を取らせようとする。
無理だった。 
 
 
 
 
 
 
 
現実のぜいたくな暮らしと、
悪夢の中の醜い暮らし。
 
 
そのはざまで、男は、ほとほと
まいってしまっていた。
 
 
 
「いつまで、こんな愚かなことが
 繰り返されるんだろう。。。」
 
 
 
男はそう思いながらも、
酷使された肉体をベッドに沈ませた。
 
 
 
 
 
夢の中。
 
 
 
いつもと変わらない、コブだらけの自分。
そして、ゴミだらけの部屋。
 
 
 
ここで、また朝が来るまで
うごめきながら過ごさなければならないのか、
と重い身体を引きずっていると、
 
 
 
「ん?あれは何だ?」
 
 
 
と、一冊の本のようなものを見つけた。
 
 
 
今までも、ずっと部屋の片隅にあったのかもしれないが、
ゴミの山にうずもれて、まったく分からなかった。
 
 
 
特に特徴のあるものではなかったが、
なぜか男は、その1冊に引き寄せられた。
 
 
 
現実世界ならば、男が気になったものは
すぐに誰かが手元まで持って来てくれる。
 
 
しかし、夢の中では、自分で重い身体を引きずって
コブだらけの足を必死に動かしながら
冊子まで辿り着かなければいけない。
 
 
 
やっとのことで冊子にたどり着くと、
男は表紙を見てみた。
 
 
 
特に何の変哲もないものだったが、
どうやらそれは日記帳のようで、
表紙には今年の年号と、男の名前が書いてあった。
 
 
 
「こんなところに、日記があったのか。。。」
 
 
と、男はうまく動かせない指をゆっくり動かしながら
日記のページをめくってみた。
 
 
  
 
実に奇妙な日記だった。
 
 
 
通常の日記と同じように、日付がふってあるのだが、
書かれている内容が、おかしい。
 
 
 
日付の下には、
 
 
「いただいた命」
 
 
と書いてあり、その後には、
 
動物の名前や植物の名前、
そして知っている人の名前や
知らない人の名前などが書かれていた。
 
 
 
そして、別の欄には
 
 
「お返しした命」
 
 
と書いてあったが、そこは空白だった。
 
 
 
 
現実の世界にこんな日記帳があっても、
男は一瞥もくれずに放っておいただろう。
 
 
 
しかし男は、直感的に
この日記帳に、この「眠れない」状況を脱出する
ヒントがあるような気がして、熟読してみた。
 
 
 
 
 
どの日付、どのページも、
 
 
「いただいた命」
 
 
の欄には、びっしり動植物や鉱物、
そして人の名前が書いてあったが、
 
 
「お返しした命」
 
 
の欄は、空白か、書いてあったとしても
1つか2つの項目が書いてあるだけだった。
 
 
 
 
たくさんの日付、たくさんのページを開き、
今日の日付のページまでたどりついた。
 
 
 
そこにも、変わり映えない事が書いてあったが、
男は、あることに気がついた。
 
 
「そういえば。。。」
 
 

 
男は今日、眠りにつくまでに
食べたものを思い出してみた。
 
 
 
すると、びっしりと書かれた動植物が
材料に使われていたように思えた。
 
 
また、そこには今日、
男が召使いのようにこき使った人の名前も書いてあった。
 
  
男が知らない名前もたくさんあったが、
知っている名前の人は、
その日、男に何かしら接触のあった人たちばかりだ。
 
 
 
 
もう一度日記帳をめくり、前の日、そのまた前の日と
さかのぼって見てみると、
 
 
その日その日に食べたものの材料、
 
そして、知っている名前は、
男のために何らかのサービスをした人たちで
埋め尽くされていた。
 
 
 
 
「なんだ、これは。。。?
 これが“いただいた命”ってことなのか?」
 
 
男は呆然と日記帳をながめていると、
そこで夢から覚めた。
 
 
 
 
 
 
 
 
現実。
 
 
ぜいたく品にかこまれ、
 
何も不自由のない現実。
 
 
 
 
男はその日、いつもよりも自分の食べたものや
会った人を、しっかりと記憶にとどめておくことにした。
 
 
なにかのヒントが、
現実の世界にあるような気がしたからだ。
 
 
 
 
 
 
そして夜。夢の中。
 
 
男はいつもの夢に戻ると、一目散に
昨日見た日記帳に近づき、今日の日付を見た。
 
 
 
「やっぱり。。。」
 
 
日記帳の本日の日付の「いただいた命」の欄には、
今日食べた食べ物の材料となった動植物の名前が書いてあり、
やはり会って、何らかの世話をしてくれた人の名前が見られた。
 
 
 
 
「でも、これだけでは、何の解決にもならない」
 
 
男は途方に暮れながらも、
日記帳からなんらかのヒントを得ようと 
次の日も、出来る限り詳細に現実を記憶するように頑張った。
 
 
 
 
 
次の日も、次の日も、
 
 
夢の中の日記帳の
「いただいた命」の欄には、
食べたものや世話をしてくれた人の名前が並び、
「お返しした命」の欄は、空白だった。
 
 
 
 
 
 
しかし。
 
 
 
何日か確認を繰り返していると、
 
 
日記帳の「お返しした命」の欄に、
とても小さな字で
 
 
 
 
「執事に、ありがとう、と言った」
 
 
 
 
と書かれてある日ができた。
 
 
 
 
 
 
そういえば、その日は、ほんのきまぐれで
執事にお礼を言ったような気がする。
 
いつもは、無視するか、不満を述べるかだけだったのだが、
なんとなく言ってみた言葉だった。
 
 
 
 
男は、日記帳に書かれてある文字を
何度も読み返しながら、つぶやいた。
 
 

「これが、私が“お返しした命”なのか。。。?
 “いただいた命”は、こんなにあるのに、
 たった、これだけなのか。。。?」
 
 
  
 
夢の中のゴミだらけの部屋で、
コブだらけの身体をふるわせながら、男はむせび泣いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
次の日、男は態度を改めることにした。
 
 
 
出会った人には、かならず心から感謝を述べるようにした。
 
 
自分が食べるだけの食事を用意してもらい、
それも出来る限りぜいたくなものは、やめることにした。
 
 
そして、自分が使わなくなったぜいたく品の一部を
欲しがっている人に譲ってみた。
 
 
 
 
その日の夜、男はまっしぐらに日記帳に向かうと、
いつも通り、「いただいた命」には、今日食べた動植物と、
自分の世話をしてくれた人の名前があり、
そしていつも通り、男の知らない人の名前も確認できた。
 
 
 
「おそらく、この知らない人も、
 私が知らないだけで、
 私のために命を使ってくれているのだろう」
 
 
 
と、男は不思議と、すんなり受け入れた。
 
 
 
 
 
そして。
 
 
 
「お返しした命」の欄には、
 
その日、男が心から感謝をしたことと、
譲った品々が書かれていた。
 
 
 
そして、気のせいか、ゴミだらけの部屋のゴミが
ほんの少し減っているように感じられ、
身体のコブも、こころなしか減ったように思えた。
 
 
 
 
「いただいた命があるからには、
 お返しもしないと、不自然だ。当たり前だ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
男は、次の日からも、せっせと自分に出来ることを
やり始めた。
 
 
 
人々に感謝し、
 
彼らが困っていたら、出来る限り応援をし、
 
ぜいたくをやめ、
 
周りにあったものを処分、整理していった。
 
 
 
 
男が誰かの応援をすればするほど、
周りのものを整理すればするほど、
 
 
夢の中の「お返しした命」の欄は埋まってゆき、
 
 
ゴミだらけの部屋のゴミは少なくなってゆき、
 
身体にあったコブも、徐々に少なくなっていった。
 
 
 
 
 
 
現実も、夢も、どんどんと変わって行った。
 
 
 
現実世界では、男をチヤホヤしていただけの人は
男も女も、必要なものをもらうだけもらうと、
彼の元から去って行った。
 
 
 
夢の世界では、どんどんとゴミが減ってゆき、
身体のコブも少なくなっていった。
 
 
 
 
男は現実世界でも、
どんどんと感覚が研ぎ澄まされるようになってゆき、
ものがあふれていた時よりも、穏やかに過ごせる時間が
増えて行った。
 
 
 
 
 
男は
 
 
「考えてみれば、もう充分、ぜいたくは味わったな」
 
 
と考えるようになり、
豪華な自宅も手放し、
執事には再就職先を見つけた後、やめてもらった。
 
 
 
 
 
 
男は、最低限の暮らしが出来る家に引っ越し、
自給自足の生活を送るようになった。
 
 
 
他の人から見れば、落ちぶれたように見えたかもしれないが、
男にとっては、どうでもいいことだった。
 
 
 
 
 
その頃には、夢の中も
すっかり片付いていた。
 
 
 
ゴミはほとんどなくなり、
きれいな、すっきりとした
心安らぐ明るい部屋になっていた。
 
 
身体のコブは、最後のひとつを残して
他はすべて消え去っていた。
 
 

 
現実世界の男は、自給自足をし、
彼を必要としてくれる人に
たまに会った。
 
 
そして、夢の世界でも、
心穏やかにすごせるようになっていた。
 
 
日記帳には
 
「いただいた命」の欄も、
「お返しした命」の欄も、
 
ごく少ないことが書かれるだけになっていった。
 
 
  
 
 
そして。
 
 
ある晩。
 
 
 
 
男は、安らかな気持ちで床につくと、
 
ぐっすりと、
 
本当に安らかに、
 
覚めることのない眠りについた。
 
 
 
 
 
 
男は、天に昇って行く最中に、ふと思った。
 
 
 
「今回の人生は、
 このことを学ぶために
 あったのかもしれないな」
 
 
と。
 
 
 
 
 
肉体から離れ、魂だけになった男は、
夢の中で残っていた
最後のコブに目をやった。
 
 
 
そのコブは、消えてはいなかった。
 
 
 
ただ、ほんの少し、小さくなったように見えた。
 
 
 
「このコブがなくなるように、
 もう何回かは、地上に行くことになりそうだ」
 
 
 
そんなことを考えながら、
 
男は光の中に吸い込まれて行った。
 
 
 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク