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『天国を見たい男』

男は、自分の中にずっと湧きあがってくる欲望を
抑えきれずにいた。
 
その衝動は誰もが一度は思い描くようなもの
なのかもしれない。
 
しかし、普通は子供のころにぼんやり思うだけで、
いつの間にか忘れてしまうようなものだ。
 
 
男が叶えたいこと、それは
 
「天国というものを見てみたい」
 
ということ。
 
 
 
男は小さいころに両親に言われた
 
「良いことをしていれば、天国に行けるんだぞ」
 
という言葉を、ずっと信じ続けている。
 
 
男は苦労人だった。
 
どんなに働いても、つい手柄を人に
ゆずってしまう性分で、いつも貧乏くじを引いていた。
 
それも、親から言われた
 
「良いことをしていれば、天国に行ける」
 
という言葉を信じていたからで、
出来る限り人にとって良いことをして、
自分のことは後回しにしてきたわけだ。
 
 
男は、
 
「この世でどんなに苦労してもかまわない。
 天国に行けるのならば、こんなこと何でもない」
 
と、自分自身を叱咤激励して頑張った。
 
 
また、ただの良い人だけでは足りないと考え、
常に社会に役立つ人間であろうと努力を重ねた。
 
多くの勉強をし、体も鍛え、
精神的にも豊かになろうと感性を磨き続けた。
 
そして、人知れず寄付をし、
道行く老人には手を貸し、
困っている人がいたら、いつでも相談に乗った。
 
 
 
そんな男も、中年期を過ぎ、
そろそろ初老を迎えようとしていた。
 
ある日、男はふとこんなことを考えた。
 
「今までずっと天国に行くために頑張ってきた。
 それはこれからも変わらない。
 でも一体、天国というのは、どんな所なんだろう?」
 
 
自分が目指している目標である天国。
 
しかし、考えてみれば、そこがどんな所なのか
まったく分かっていないのだ。
 
 
すでに他界した両親も、
 
「良いことをしていれば、天国に行ける」
 
という事は教えてくれたけれど、
肝心の「天国とはどういう所か?」という事は
あいまいにしか教えてくれなかった。
 
 
「天国・・・一体どんな所なんだろう?」
 
ふと頭によぎってしまった疑問。
 
しかし、今までの人生を「天国行き」に捧げてきた男にとって
一度湧き上がってきてしまったその疑問は
簡単には忘れられないものとなってしまった。
 
 
「天国がどんな所なのか?
 そんなことを考えてしまう事自体がいけない」
 
「私はただ、今できる良いことをし続ければいいんだ」
 
などと自分をごまかそうとしても、つい
 
「でも・・・どんな所なんだろう?」
 
「天国があれば、地獄もあるってことだろう。
 じゃあ、地獄はどんな所なんだ?」
 
と考えてしまう。
 
 
男はすでに、あらゆる文献を見て、
天国と地獄についての知識は得ていた。
 
しかし、実際にこの目で見てみたい。
確かめてみたい。
 
という衝動は抑えがたいまでに膨らんでいた。
 
しかし、自ら命を絶ってしまえば、
それこそ地獄行きだ。
 
男は、自分が抱いてしまった疑問に
悶絶の日々を繰り返した。
 
 
 
そんなある日、男は夢を見た。
 
夢と言っても、いつも見る夢とは明らかに違っていた。
 
妙に生々しく、かつ神々しい夢。
 
 
夢の中で、天使が枕元に立った。
 
天使は男にこう言った。
 
「今まで、良くがんばってきたね。
 ホントは見せられないんだけれど、
 特別に見せてあげるよ。天国と地獄」
 
男は誘われるまま、ふわふわと空を飛び、
天使の後をついて行った。
 
 
「じゃあ、ちょっとの間、目をつぶって」
 
天使は男に言い、男は天使の言うがまま
しっかりと目をつぶった。
 
「いいよ、もう目を開けても」
 
天使の声に導かれて男は目を開けると、
そこには恐ろしい光景が広がっていた。
 
 
針の山を歩く者。
 
グラグラと煮え立つ釜に入る者。
 
石を積み上げては、それを壊されるもの。
 
うず高く積まれた本の山に
押しつぶされそうな者。
 
 
他にも、ありとあらゆる
苦痛を伴いそうなことが、そこにはあった。
 
 
男は思わず目をふせた。
 
 
天使は、
 
「そうだよね。 いきなり見せるには、
 ちょっとショッキングだったよね。
 ごめんね」
 
と言いながら男の手を握り、
再び空を飛び、移動をはじめた。
 
 
天使はもう一度、男に目をつぶるように伝え、
しばらくしてから
 
「はい、どうぞ目を開けて」
 
と、男をうながした。
 
 
目を開けると、今度は先ほどとは逆の、
おだやかな光景だった。
 
誰もがゆっくりと眠り、
 
遊びたい時に遊び、
 
食べたい時に食べ、
 
抱き合いたい時に抱き合っていた。
 
ふんわりとした雲の上のような場所は
まさに楽園と呼ぶにふさわしい場所だった。
 
 
男が天使を見ると、天使は
 
「どう?満足した?」
 
と笑顔を向けた。
 
 
男はゆっくりとうなずくと、
天使は男の手を取り、
男の枕元まで男を送ってくれた。
 
 
 
男は天使に礼を言った。
 
「ありがとう。疑問が晴れた。
 おかげで、これからも良い人間として
 努力をしていけそうだ」
 
天使は少し照れながら
 
「どういたしまして。
 君みたいな人には、ぜひ天国に来てほしいからね」
 
と男に伝えた。
 
 
「しかし、まさに本に書いてあった通りだった。
 地獄では、針の山や煮えたぎる釜で永遠に苦しみ、
 天国では、あんなにやりたいときに何でもできるなんて」
 
男はあらためて天使に感想を言うと、
天使はちょっと不思議そうな顔をしてから、
男に伝えた。
 
「ん?ちょっと待って。
 なにか勘違いしているんじゃない?
 
 君に最初に見せたのが、天国。
 天国よりもさらに上のステージに行くために
 自主的に頑張っている人たちの姿だよ。
 
 そして、その次に見せたのが地獄。
 自分を高めることをせず、
 ただただその場の欲望を満たすだけの
 呆れた連中の姿さ。
 
 彼らは地獄で、好きな時に好きな事をやり
 永遠を過ごすんだ。
 あの地獄より下の世界は、ないからね。
 
 でも大丈夫。
 君はたぶん、天国に行けるよ。
 だって、ずっとずっと努力しているもの」
 
天使はウインクしながらそう言うと、
男を枕元において飛び去ってしまった。
 
 
朝、男は目覚めると、ひと言つぶやいた。
 
「はてさて。
 今見た夢が本当なのか嘘なのか。
  
 そして私に天国と地獄を見せてくれたのは
 本当に天使だったのか?それとも悪魔だったのか?
 
 いずれにしても、これからは
 もっと悩みが深くなりそうだ」
 
 

 

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