そこは不思議な空間だった。
森のような、迷路のような、そんな場所だった。
この道を今までずっと
歩いてきたような気がする。
そして、この先もずっと、ずっと、
歩いて行く確信がある。
先は一本道に見える。けれど、
ふとした拍子に道が枝分かれするような気もする。
そんな森が目の前に現れていた。
が、ほんの気まぐれ、思いつきで、
道を逆戻りしてみたくなった。
今まで歩いてきたであろう道を戻ってゆくと、
いくつもの道に分かれていた。
道が分岐する時は、必ず急激なカーブを描いていた。
こちらから見れば「ト」の字を下から見たような、
逆から見れば、Y字路に立たされているような、
そんな分岐路に、いくつも折れていた。
興味本位で、その中の本道から外れた
やや広い道を選び、歩いてゆく。
すると、今度は何故か「戻る」というよりは
「進んでいる」という感覚に見舞われる。
今までは「歩いてきた道」という既視感があったが、
分岐した道は、なにやら新鮮だった。
—
しばらく進むと、人が立っていた。
「こんにちは」
と声をかけると、相手は振り返ったが、
その顔を見て私は驚いた。
私なのだ。彼も私も、同じ顔だった。
相手はあまり驚いた様子もなく、
「やあ、あなたはどこの私で?」
と、不思議な質問をしてきた。
私は釈然としないまま軽く自己紹介をすると
相手は、
「ああ、なるほど。
あの時、彼と喧嘩別れしたままの私ですね」
と、合点がいったように答えた。
「どういうことです?」
と私が聞くと、
「ここは、あなたの、、、
いや、私のものでもあるのですが、
” 岐路の森 ” なんですよ」
と話し始めた。
「私たちは今までに、
様々な人生の岐路があったじゃないですか?
その岐路があるたびに、私たちの人生は
まったく違ったものになってゆく。
そのすべての分岐が ” 森 ” となって
現れたのが、ここなんですよ」
私と全く同じ顔をした相手が、
にっこりと微笑みながら話を続ける。
「戻れば戻るほど、過去の自分の岐路に会える。
そこでの自分に会い、話を聴いてみるのも面白いですよ。
ただ、その場で会った自分を追い越して
先に進まない方がいい。
森に迷い込み、今の自分に戻れなくなってしまうから」
なるほど。
どうやら私は、「私の人生」という森に来たらしい。
その時の決断や、その時の判断が違っていれば、
当然違う人生になっただろう。
その可能性のすべてを見ることができる、というわけか。
普段であれば、そんな非現実的なことを
受け入れるはずがなかった。
ただ目の前にいる、自分と全く同じ顔をした
相手を見ていると「そんなこともあろう」と思える。
また、何よりこの森自体が、すべて夢であるような、
夢だとわかって夢を見ているような、
そんな感覚だったので、すぐに納得することにした。
「で、あなたは今、どのような人生を?」
と聞くと、相手は
「はは、、、あなたが喧嘩した相手が社長の会社で
従業員として働いてますよ。報酬は悪くないですね。
ただ、ふと、この人生がよかったのかどうかは、
分からなくなることがありますが」
少し疲れた顔をしている「私」は、
そう言うと「じゃあ、これで」と言い残し、
先の道を歩いて行ってしまった。
—
他の道もあるのなら、ついでに見ていこう、
と、来た場所まで戻り「本道」をさらに戻っていった。
細い分岐路を進んでみると、
結局、本道に戻ってきたりもした。
「どちらを選んでも、大差なかった、
ということか、、、」
と、妙に腑に落ちた道もあった。
また、道が続いていない、
袋小路になっている所もあった。
「これは、つまり、、、、死?」
そういえば、酒に酔って
車にひかれそうになったこともあった。
他にも、病気になったこともあったし、
崖から落ちそうになったこともあった。
すでに命がなくなっている。
そんな分岐路もあったのか、と想像すると
背筋がぞっとした。
—
「この道は、どうせ元の道に戻るのだろう」
そんな気楽な気持ちで細い道を選んで進むと、
その道は思いのほか長く続いていた。
しばらく進んだあとには、
先ほどと同じように「私」が立っていた。
しかし、どう見てもみすぼらしく、
人相も悪い。
「これも私なのか、、、」
と面食らっていると、
相手は今までの人生を語りだした。
ツキに恵まれず、
やけになり犯罪に走り、
今は刑務所で過ごしているという。
「そんなに大きな分岐が
どこかにあっただろうか。。。?」
と、詳しく話をしているうちに、
あることに気がついた。
「そういえば、彼とはどうなっている?」
私が名前を挙げたのは、今でも親友と呼べる男だった。
しかし、犯罪者である「私」は、
不思議そうに私の顔を見る。
何回確かめても、犯罪者である方の「私」は、
今の私の親友を知らないのだ。
「なら、彼に出会わせてくれた、あの人は、、、?」
と質問を続けても、
「そんな人は、まったく知らない」と言う。
「では、紹介してくれたあの人は?」
「ならば、あの男性は?女性は?」
と聞いても、どの人も知らないと答える。
「えーと、、、では、あの人は?」
と、私が最後に名前を挙げたのは、
今では交流が途絶えてしまった人の名前だった。
今の今まで忘れかけていたが、
すでに交流が途絶えているあの人がいなければ、
今の親友とも出会っていなかったことに気づかされた。
その名前を聴くと、犯罪者である「私」は、
思い出したかのように
「ああ!そいつは覚えているよ。
でも、友人を紹介したいといった誘いを
断ったあとは、音信不通になったな」
と答えた。
まさか、、、
たしかに、あの時の誘いは気乗りはしなかったが、
ほんの気まぐれで行くことにしたのだった。
だが、考えてみれば、
そこでの出会いが、今日の人間関係の核になっている。
そんな、、、もしあの時、
あんな気軽な誘いに行かなかっただけで、
こんなにも人生が変わっていたのか。。。
私が愕然としていると、
犯罪者である「私」はニヤリと笑い、
「それはそうと、お前の人生は
少なくとも俺よりも良さそうだな。
おい、代われよ、俺と」
と言うと、急に私に襲い掛かってきた。
私は、つかみかかってくる「私」を
必死に振り払い、元来た場所まで走った。
—
どうやら、相手は追いかけてこない。
あきらめたのか、それとも見失ったのか。
気持ちを切り替えて、さらに過去へと戻る。
—
たくさんの大きな分岐路がある場所にさしかった。
「ああ、これはきっと、、、」
就職、そして恋愛の分岐路だろう。
あまりにもたくさんの分岐路があるため、
どこを見ればいいのか見当もつかない。
ひとつひとつを丁寧に見たい、という
強い衝動にかられたが、それよりも強い欲求が
私をさらに過去の道へと急がせた。
「私にとって、一番最初の分岐は
いったい、いつだったのだろう?」
もしこれが夢の中であるのなら、
もうそこまで時間は残されていないだろう。
それならば、私の人生の分岐の原点を見てみたい。
そんな風に考えた私は、
「本道」を過去に向けてさらに走った。
—
受験に落ちた自分。
きょうだい喧嘩がこじれた自分。
あの頃の趣味に人生をささげた自分。
様々な自分に会いながら、
とうとう ” 森 ” の終着地、、、いや、
私の人生のスタート地点までたどり着いた。
「この世に、生を受けた。
ここから始まり、今があるのか、、、」
今度は生まれたところから、未来へと
足を進めてゆく。
「最初の分岐」を知るために。
—
すると、さほど歩いていないところに
分岐が現れた。
「これが、人生最初の分岐か。」
その道をゆっくりと歩いてゆく。
ずっと、ずっと歩いてゆくと、
そこには「私」がいた。
「こんにちは」
私が声をかけると、もう一人の「私」も
丁寧にあいさつを返した。
その「私」は、今まで会ったどの「私」よりも
身なりがよく、また自信に満ちていた。
話を聞くと、とある大会社の社長をつとめているという。
生まれて間もない頃に、
こんなに差がつく分岐なんて、あっただろうか?
私が黙っていると、
「実は私、幼い頃に迷子になり、
両親とはぐれてしまったのですよ」
と、身なりのいい「私」が静かに話してくれた。
それから目の前の「私」が語る人生は、
私の予想をはるかに上回るものだった。
旅先で迷子になった「私」は、
なんとか両親と再会するためにがんばったが、
結局連絡を取る手段に恵まれず、
そこから孤児となったが、
幸いなことに心ある方に
養子として迎え入れてもらったおかげで
現在の人生の道が開けたのだそうだ。
私は、まさかそんな人生の可能性もあったのか、と
驚きもしたし、また「私」の人生を
うらやましくも思った。
たしかに、大変なこともあっただろう。
しかし、人生も半ばを迎えた私にとって
「私」が手に入れているものは
キラキラとまぶしく見えた。
「もし、取り換えることができたら、、、」
そういえば、一番最初に出会った「私」が言っていた。
「その場で会った自分を追い越して
先に進まない方がいい。
森に迷い込み、今の自分に戻れなくなってしまうから」
それはつまり、いま目の前にいる「私」を
追い越して進みさえすれば、
私自身が、この身なりのいい「私」の人生を
手に入れられるのではないか、、、?
「やってみますか?」
目の前にいる「私」は、
私の考えがすべて分かっているかのように
うながした。
私の答えは、明らかだった。
—
「おはよう」
目が覚めた。
ずいぶんと長いこと寝ていたような気がする。
目の前には、いつもの見慣れた顔があった。
スマホには、いくつかのメッセージが
何人かから来ていた。
どれも、なじみのある面々からのものだった。
あの ” 森 ” は、夢だったのか、
それともあの時「私」を追い越していたら、
私は「私」の人生の続きを味わえたのだろうか?
「いや、、、」
私はベッドの上で、夢うつつのまま思った。
「あの時、犯罪者の『私』が
途中で追いかけて来なくなったのも、わかる気がする」
どんな現実でも、自分が創ったんだ。
誰も、他の誰かの人生を奪っちゃいけないし、
自分の人生を投げ出しちゃいけない。
「それが、たとえ私自身であっても」
そして、私の今日が始まる。