感情の老化。
人は歳をとる。
それは悪いことでなく、自然で、美しいことだ。
ただその上で、とても精妙な
「感情の加齢」というものにも向き合う必要がある。
歳を重ねると、人は昔のように
ちょっとのことでは驚かなくなったりする。
一喜一憂することも、
ドキドキワクワクするようなことも減る。
これは、ある意味感受性の衰えとも捉えられ、
言い方によっては
「感情の老化」
とも表現できる。
一方で、
昔ならば通り過ぎていたようなことに感動し、
涙を流すようなこともある。
こちらは、
「感情の成熟」
と言えるようにも思う。
おそらく、私たちは年齢を重ねるにしたがって、
燃え上がる炎のような感情から、
炭火のように深く、静かな感情へと移り変わる。
だから、表層的に「見える」感情の波は鎮まり、
多くの隠れた文脈から湧き上がる感情が
発露されていくことになるのだろう。
ただ。
これは歳を重ねれば全員が
同じように獲得していくものではない。
深く、静かに、潤ってゆく人もいれば、
硬く、動かず、乾いてゆく人もいる。
潤ってゆく人は、人生をより深く謳歌し、
人に穏やかさを与える。
乾いてゆく人は、頑なさから怒りを燃やし、
人を遠ざけてゆく。
成熟した潤い。
老化した乾き。
人が最も早く経験する老化は、
実は肉体や頭脳ではなく、
感情なのかもしれない。
、、、と、つらつらと思っている中で、
それだけではないことも感じる。
たとえば、ある会話の中で
こちらが投げかけたことに対して、
まったく同じ言葉で、
同じようなトーンで、
同じような表情で返ってくるのに、
ある人の場合は
美しい成熟さを感じるのに、
別の人だと、
無味乾燥を感じてしまうことがある。
もちろん、こちらの偏見もあるのかもしれない。
でも、この違いは何なのだろう?
同じはずなのに、違う。
ある人の反応には、豊かで柔らかい土壌を感じ、
別の人の同じ反応には、コンクリートの固さを感じる。
これはきっと、
感情であるのに、そこに ” 正解 ” が
かいま見えるからなのかもしれない。
「この場合は、こう返すのが ” 正解 ” 」
「相手の話には、こうやってたたずむのが ” 正解 ” 」
そんな何かを感じてしまうと、
とたんにそこには潤いが失われてしまう。
やさしいはずなのに、乾いている。
そんな「処理される返答」を感じてしまう。
さてさて。
まぁ、そんなことを書いている私自身が
どれだけの「感情年齢」を持てているのかはわからない。
ただ、感情に関しては、 ” 正解 ” を
求めない方がいいのかもしれないね。
その ” 正解 ” が自分に向かうと、
「こうであるべき」と怒りをまき散らす老人となり、
” 正解 ” が相手に向かったとしても、
達観ではなく、諦めの枯れた老人となる。
できる限り、心も新陳代謝をして、
潤いを保っておきたいものですわ。
ではでは。
