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「甘え」と「依存」の違い

「甘え」と「依存」って、どう違うの?
 
え? え? お、、、おう。
 
最近はけっこう難しい「○○を定義してください」
っていうのが来ていたが、
これまた難解なリクエストが。。。
 
 
んーと。。。。
 
でも、考えてみると、
自然に使い分けているよな。。。
 
   
女性が、
 
 
「てへっ♪
 上手に甘えられる、愛され女子になっちゃおう☆」
 
 
みたいのはカワイイが、硬派な男同士の世界で、
 
 
「押忍ッ!!
 巧みに甘えられる、豪傑男子のほまれ!」
 
 
みたいのは、ない。
  
 
 
「甘えんぼ」とは言うけれど
「依存んぼ」とは言わない。
 
 
「薬物依存」とは言うけれど、
「薬物甘え」とは言わない。
 
 
 
また、
 
 
「今日だけ、、、今日だけは、甘えてもいいですか?」
 
 
みたいのは、キュンと来るけれど、
 
 
「今日だけ、、、今日だけは、依存してもいいですか?」
 
 
てのは、チョ・マテヨだ。
 
 
 
、、、で。
 
 
そんなウネウネとした考えの中、
現時点の私がたどりついたのは、
 
 
「軸をよりかからせるのが甘えで、
 軸を全放棄しているのが依存」
 
 
って感じ。分かりにくい?
 
 
 
んと。
 
 
甘えているっていう時は、
自分という軸はあって、
その重心を少し相手に預けている状態。
 
なので、相手がいなくなると、
フラッと、よろめくことはあるけれど、
自分自身がなくなることはない。
 
 
 
でも依存は、自分という軸を丸ごと
相手に受け渡してしまっている状態。
 
ヒャクパー完全に意思を放棄して
自分という存在を
相手に任せてしまっている状態だ。
 
なので、相手がいなくなることイコール
それは自分自身のアイデンティティの消失になる。
 
 
 
微妙なニュアンスだけれど、
 
たとえば満員電車の中で、
自分でも立とうとしているんだけれど
誰かにも、よりかかっているのが「甘え」。
 
そうでなく、もう自分で立っていようという
意思そのものをなくしちゃうのが「依存」。
 
 
。。。え?かえって分かりにくい?(笑)
 
 
 
 
 
自分の気持ちや負担を
 
「たすけてー」
 
と、少し荷物を
持ってもらうのが甘えんぼさん。かわいい。
 
 
自分の気持ちや負担、
いや、幸も不幸も
 
「決めてー」
 
と、自分の荷物を丸投げしちゃうのが
メンヘ。。。。依存さん。こわいい。
 
 
 
、、、ってことなんだけど、とはいえ。
 
 
「じゃあ、依存は悪なんですね」
 
「この世にはびこる依存を一掃するのが
 提督の夢なのですね」
 
 
というワケじゃないと思う。
 
 
 
 
人間は弱い。
 
自分だけでできることは、限られている。
 
 
依存していることだって、たくさんあるだろう。
 
 
ただ、何かの存在に
「一方的に」依存しているのは、
不健康な状態だとは思う。
 
 
お互いに、ある領域において依存し合うのは
けっして悪いことではないだろう。
 
 
これは「甘え」も同じだけれど、相手が
 
「かわいいな」
 
と思うのであればそれでいいし、
そのお返しとして、なにかがあればいいのだと思う。
 
 
 
肉体的に誰かに依存しなければならない人が
精神的にもそうであるかは、まるで別だし、
 
相手が意図的に「私に依存させよう」と仕組んだ罠に
まんまとはまってしまうのであれば、それはそれだ。
 
 
 
 
 
その上で。
 
せっかくの自分の人生なのだから、
少なくとも自分の大切な部分においては、
 
自立し、支え、支え合う。
 
というスタンスがいいんじゃないかな?
なんて思うのでありんす。
 
 
 
 
提供し、提供される。
 
 
それは
 
「この人は私に提供する人で、
 あの人は私が提供してあげる人」
 
みたいな区分ではなく、
一人ひとりとの関係性において
与え合えるのが健康な状態だと思う。
 
 
 
そんな風に偉そうに話すワタシは、
みなさまに上手に甘えられる男子を目指したいと思います!
 
押忍ッ!!
 
 
 
ではでは。
 

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