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凸凹劣等感。

「ああ、私ってダメだなぁ」
 
「なんで、あの人みたいになれないんだろう?」
 
 
日々過ごしている中で、ついつい
そんな風に思っちゃうこともあるよね?
 
 
知らない間に自分の中で育ってしまった劣等感、
コンプレックスってのは、誰にでもあると思う。
 
 
容姿など肉体的なこと、健康面において。
 
知的なこと、学歴、職場、肩書き、経済的なこと。
 
人間関係、恋人、人脈、コミュニケーション。
 
時間。人生。過去や未来。
 
 
劣等感を感じる部分は人によってさまざまだろうけれど、
たぶんコンプレックスがゼロって人は、
この世にいないんじゃないだろうか?いるのかな?
 
 
まぁ、そんなわけで、多くの人が自分の中に
コンプレックスを潜ませながら生きているんだろうけれど、
 
そんな人々の心に忍び寄ってくるのが、いわゆる
 
「コンプレックス産業」
 
と言われている者たち。
 
 
 
アプローチしてくる内容は千差万別なんだけれど、
言っている事は一緒で
 
「あなたの劣等感の穴は、
 お金で埋められます」
 
という事。
 
 
「このサプリを飲めば、一瞬でダイエット」
 
「この手術をうければ、一瞬で美貌を手に!」
 
「これで、お金がザクザク手に入る」
 
「これでモテモテ!」
 
「あなたの過去は、これで変えられる」
 
 
そんなアプローチをしてくる業者はあとを絶たないし、
それが全て悪である、とは言い切れない部分もある。
 
 
 
 
ただ、バッサリ言い切っちゃうけれど、
 
 
「劣等感の穴は、お金で埋めることはできません」。
 
 
これは、間違いのない事実なんですわ。
 
それどころか、劣等感をお金で埋めようとすると
その穴というか傷口は、さらに深く
広がっていきますわ。ホント。
 
もう「体験者は語る」レベルの本当さかげん(笑)
 
 
 
だって、
 
劣等感って、文字通り「感」なので、
自分の心理状態が変化しないと、
いつまで経っても変わることなんてないのよ。
 
 
どんなに美人に整形したとしても
 
「まだココが醜い」
 
「けれど私は整形手術をしたし」
 
と、心の闇は晴れるどころか深くなる可能性もあるし、
 
 
お金を儲けたとしても、劣等感の根っこは
より深く根付くことになるから、
自分の虚栄心を満たすために無駄金を
浪費することになるだろう。
 
 
 
もちろん、なにかの商品やサービスが
劣等感を払拭する「サポート」になることはある。
 
 
その「サポート」を受けて、自分の劣等感と向き合って
「劣等感と良いお付き合い」になることはできるだろう。
 
 
ただ、商品頼み、サービス頼みになると、
いつのまにか自分がコンプレックス産業の
養分になり下がってしまう。
 
お互いに注意したいものだよね。
 
 
 
コンプレックスってのは、
基本、思い込みか集団催眠だ。
 
一重まぶただって、平安時代は美人の証だし
 
お金は国家が作り上げた幻想という部分もある。
 
人気なんて、上を見ればキリがないし、
 
時間というのも、人間が100年か200年前に作った
「発明品」でしかない。
 
 
人との比較において、
 
「これがない」
 
「これが劣っている」
 
なんて思っても、どっちが優性なのか劣性なのかは
ほとんどの場合は思い込みに過ぎない。
 
命にかかわる病を持ったという事ですら
見方を変えれば優越感にもなり得る。

 
  
また、コンプレックス要因となるものは
日々作られ続けている。
 
 
「なんであの人はフェイスブックで友達が多いの?」
 
「私より“ いいね! ”が多いの?」
 
 
なんてコンプレックスは、
10年ちょい前には誰も持っていなかったものだ。
 
すべてのコンプレックスから解放される時なんてのは
悟りを開いた人くらいにしか訪れないんじゃないかな?
 
 
 
だから。
 
 
劣等感にさいなまれて身動きが取れずにいるよりも、
 
「ああ、これって思い込みだわ」
 
と、一度自分を俯瞰して、
あとは、やりたいようにやればいいんじゃないかな?
なんて思う。
 
(いや、限度ってものはあると思うけれどね)。
 
 
コンプレックスを
「凹」という穴に見ているのは実は自分で、
その幻の穴を埋めようとしちゃっても、
幻なんだから、いつまで経っても埋まらない。
 
 
コンプレックスを、
「凸」という長所に捉えるのも自分で、
それを手がかりにいろんな発信をすることもできる。
 
 
お金や、他人からの言葉や賞賛や、肩書きでは
劣等感はなくならない。
 
というか、思い込みがなくなるのは
その思い込みを忘れた時以外にはない。
 
思い込みなんだから、当たり前だよね(笑)
 
 
 
日々、時代や業者によって「発明」される
劣等感なんかに脅かされないで
自分が自分として生きていられればいいんちゃうかな?
 
 
そして、「凹」でも「凸」でもなく、
 
素直でフラットな「口」から、
さまざまなものをインプットして、咀嚼して
 
「口」という発信装置から、自分というものを
アウトプットしていけばいいような気がする。
 
 
 
まぁ、そんなことを書いている私自身が
 
「劣等感のデパート」
 
だし、
 
「お前のやっていることは
 コンプレックス産業ではない、と
 言い切れるんか?ああん???」
 
と言われたら、「それは人によるかもね」
としか言えないかもしれないんだけれどね。
 
 
あー、今日も自戒のこもった内容でしたー。
 
 
 
ではでは。
 

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