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「オリジナル」を定義する。

「オリジナリティを持つには
 どうすればいいんですか?」
 
「わたし、まったくオリジナルな部分を
 持ってなくて」
 
 
そんな風に相談をしてくる人がいるんだけれど、
そういう話を耳にするたびに、
 
「いやいや、嘘ついたらあかんで。
 もう、充分オリジナルやんかぁ」
 
と思うんだよね。
 
 
 
 
そもそも
 
「オリジナリティがない」
 
と嘆いておられる方に、
 
「で、オリジナルって、何なん?」
 
と聞くと、
 
「え?・・・いやぁ、オリジナルっていうのは、
 独自性と言うか、特別な魅力って言うか・・・」
 
みたいに、けっこうあいまいな捉え方をしている場合が多い。
 
 
もちろん、私みたいな「定義マニア」に
全員がならなくてもいいと思う。
 
そして別に訊問しているわけじゃないからいいんだけれど、
あやふやなものに心悩ませて
 
 
  「オリジナル 
  
     ああオリジナル 
 
         オリジナル」
 
 
なんて俳句をひねりそうになるくらいなら、
ちょっと立ち止まって「オリジナルって、なぁに?」を
考えてみてもいいと思うんだよね。
 
 
 
ってなわけで、定義マニアシリーズ。
 
今回は「オリジナル」。
 
 
 
 
さてさて。
 
いつもと同じように、いろんな捉え方が出来るし
「これが唯一の正解で、異論は認めない」
なんてことはない。
 
そんな前提を踏まえて、
現時点の私が考えている「オリジナル」は
こんな感じ。
 
 
 
 
オリジナルとは、
 
「他とは違う組み合わせである」。
 
 
 
 
はい。以上です(笑)
 
 
 
・・・って、これだけだと不親切きわまりないので
もう少し説明するね。
 
 
この世の中に、
完全にゼロから生み出されたものは存在しない。
 
 
少なくとも、人間が創り出したもののなかに
 
「まったくのゼロから生み出した」
 
なんていうものは、一つとしてない。
 
 
今までにあったものを活用して、
すでにあるものを準備し、
また別の所から、別の「すでにあるもの」を持って来て
それらを組み合わせているだけにすぎない。
 
 
「いやいや、オレの音楽は
 完全にオリジナルだぜぃ!?」
 
とかいう場合でも、
 
・すでにある楽器
・すでにあるコード
・すでにある楽譜
・すでにあるリズム
 
を、並べ替えているという状態だ。
 
 
私の文章だって
 
・すでにある日本語
・すでにある文字
・すでにある発信媒体
 
などの力を借りることによって
発信ができているにすぎない。
 
 
野菜づくりにしても、
 
・すでにある土地
・すでにある農法
・すでにある野菜の種
・すでにある季節の移り変わり
 
などがあって、はじめて生み出すことが出来る。
でしょ?
 
 
 
いやね。
 
「だからこの世にオリジナルなんてものはないの。
 空しいね。いとかなしだね」
 
とか言いたいわけじゃない。
 
 
全く逆で、
 
「だから、その組み合わせこそが
 本質的価値であり、オリジナリティである」
 
という事を言いたいんだよね。
 
 
たとえばラーメン屋さんのラーメンだって、
一軒一軒で使っている材料は
さほどの違いはない。
 
小麦粉とか、鶏がらとか、豚骨とか、
野菜とか卵とか豚肉でしょう?
 
 
でも、その「組み合わせ」が違うから
美味しいラーメンができたり、そうじゃなかったりする。
 
 
すばらしい組み合わせには
 
「これはこの店でしか食べられない!」
 
「オリジナリティあふれわー、ヤッホー!」
 
と行列になる。
 
 
でも、「オリジナル」という意味においては、
行列にならないラーメン屋さんも
「オリジナル」なわけであって
そこで嘆き悲しむ必要はないと思うんだよね。 
 
 
 
 
で。
 
 
話を最初に戻すけれど、
 
「わたしにはオリジナルなものがないんです」
 
っていうのは、まず絶対にありえない。
 
 
オリジナルっていうのは
「他とは違う組み合わせ」のこと。
 
 
そして、人間は、もっとも細かく分けた時には
4つのDnaの塩基が組み合わさってできている存在。
 
その組み合わせの大きな部分は一緒なんだろうけれど、
まったく同じ組み合わせの人間はいない。
 
 
そういう意味においては、
誰もが生まれながらにして「オリジナル」なわけだよね。
 
 
 
「いや、イグゼロさん。
 そういう生物がどうとかいう話じゃなくて、
 私はもっと価値のあるオリジナリティが
 欲しいんですよ」
 
 
と反論があるかもしれない。
 
 
でも、それですら、
 
「いや、もう価値あるオリジナルな存在やん?」
 
と思う。
 
 
あなたは、あなたが過去から今までに生きてきた
人生という意味において、完全にオリジナルだ。
 
 
もともとオリジナルな存在で生まれてきているのに、
さらに人生の経験において、
 
「他とは違う組み合わせ」
 
を重ねに重ねてきている。
 
 
これはもう、疑うことのない事実なわけじゃない?
 
 
そして、
 
 
「でも、価値がないんです」
 
「あの人の方が、価値ある感じがします」
 
 
なんていうのは、単にその人が時流に合っている
というだけに過ぎない。
 
そして、その時流の風が
いつ、あなた側に吹く追い風になるかは
誰にもわからない。
 
 
もちろん、自分の価値を高めるために
様々なインプットやアウトプットをすることは
大切だろう。
 
 
でも、
 
「もっとオリジナルな存在にならなくちゃ!」
 
とか、
 
「オリジナリティを持つためには・・・?」
 
なんてことに、そんなに悩む必要はないと思うんだよね。
 
 
 
あなたは、すでにオリジナルな存在だ。
 
もし、どうしても「価値ある自分のオリジナル」が
欲しいと思うのだったら、すでに持っているんだから
外側に探す必要なんてないと思うんだよね。
 
 
 
「私はすでに、オリジナルな存在だ」
 
「私は、他とは違う組み合わせで生まれ、
 そして今まで生きてきた」
 
「じゃあ、私のオリジナルの
 どこにフォーカスを当てようか?」
 
 
って考えればいいと思う。
 
 
もう充分「タネ」はあるんだから、
その中で、みんなに価値を認められるような、
時流に合った部分をクローズアップすればいい。
 
 
すでにあなたの中に眠っている「タネ」を、
他とは違う組み合わせにしてみればいい。
 
 
たとえば、私なんかだと
 
 
「株取引 + 文章」
 
とか、
 
「自己啓発 + ショートストーリー」
 
とか、
 
「ハラグロ + ぶっちゃけ」
 
 
みたいな組み合わせを出しているのかもしれないし、
私の友達なんかも、面白い組み合わせで
「オリジナリティ」を作りだしている人もいる。
 
 
「歌 + 心理学」とか、
 
「写真 + コーチング」とか、
 
「ファッション + 占い」とか、
 
「キャリアウーマン経験 + アロマ」とか、
 
「サラリーマン + マグロ漁船」とか、
 
「主婦 + 住職 + FX」とか、
 
 
もう、なんでもいいと思うんだよね。
 
 
 
 
 
さてさて。
 
 
「オリジナルとは、他とは違う組み合わせである」。
 
 
みんな、
 
オリジナルな存在として生まれ、
 
オリジナルな人生を生きてきた。
 
 
もう、オリジナルの「タネ」は、
充分過ぎるほどにある。
 
 
だから、あえて「オリジナル」なんて
求めなくたっていい。
 
 
でもその中で何かをやりたいとするのであれば、
すでにある「あなたの中のオリジナルのタネ」で
新しいオリジナルを紡げばいい。
 
 
あなたはこれから、
どんな「オリジナル」をもたらしますか?
 
 
ではでは。
 

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