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「愚者の耳」と「王様の耳」

前回は、男女関係から
 
「口説く」ことよりも「耳聴く」方がいいよ。
 
という話をした。
 
 
 
話を聴くのが上手な人は、
誰からも心をオープンにしてもらいやすいし、
信頼も高まる。
 
 
 
基本的に、誰でも最も興味のあることは
「自分自身のこと」なので、
自分のことに興味を示して聴いてくれる人は、
 
「いい人だわー」
 
となりやすいんだよね。
 
 
 
異性を魅きつけるためには、これにさらに
 
「予定調和を崩す」
 
といったスパイスも必要になる場合もあるだろうけれど、
基本的には、聴き上手になるのはプラスが大きい。
 
 
 
 
 
 
で。
 
 
この「聴く」という事なんだけれど、
大きく分けると2つの聴き方があるんだけれど、知ってた?
 
 
私は、この記事を書くまでは知らなかった(笑)
 
 
 
というか、自然に使い分けていたんだけれど、
考えてみると、2タイプの聴き方をしていたなぁ、
と定義出来たので、今回はそれをシェアしよう。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
 
 
 
2つの聴き方。
 
 
それは、「愚者の耳」と「王様の耳」
というネーミングにしよう。
 
 
それぞれを、詳しく説明するね。
 
 
 
 
 
まずは「愚者の耳」。
 
 
「愚者」というと、全然役に立たない
イメージかもしれないけれど、そうじゃない。
 
 
基本、相手の話を聞く時の8割は、この
 
「愚者の耳」
 
が活躍してくれる。
 
 
 
どういうことかというと、
 
 
 
「相手の話は、何も知らない愚か者の状態で聴く」
 
 
ということ。
 
 
 

相手が話をしてくれている内容の中には、
あなたが知っている事も含まれているかもしれない。
 
 
たとえば、相手と同じようなシチュエーションを
体験したことがあるかもしれない。
 
 
また、相手よりも、あなたの方が専門知識があることも
あるかもしれない。
 
 
 
でも、
 
 
相手の話を聴く、という場合は、
 
自分の今までの体験や、知識は一度置いておいて、
すべてを「知らない」というスタンスで聴く姿勢をとるのだ。
 
 
 
 
この「愚者の耳」は、
雑談を聴く時や、相手にインタビューをする時、
あるいは、相手に心を開いてほしい時などに活躍する。
 
 
 
 
たとえば、
 
 
あなたが誰かに話を聞いてもらっている時のことを
想像してみてほしい。
 
 
 
あなたが気持よく話をしているのに、
途中でいちいち
 
 
「ああ!その話なら知ってるよ!」
 
 
とか、
 
 
「そうそう、私も以前同じような体験をしてね。。。」
 
 
とか、
 
 
「そこは正確に言うと間違っているね、正しくは。。。」
 
 
なんて言われるのと、
 
 
 
「へぇ!そうなんだ!?」
 
 
「それは知らなかったわ」
 
 
「似たような体験はあるかもしれないけど、
 やっぱり違うわー」
 
 
と言われるのだったら、どっちが気持ちよく話せる?
 
 
 
当然後者だと思うんだよね。
 
 
 
 
 
 
 
ひとつ注意点を言っておくと、
この「愚者の耳」は、
 
 
「何でも知らないふりをして、
 心の中でほくそ笑んでおけ」
 
 
という話じゃあ、ない(笑)
 
 
 
そもそも、
 
「相手と全く同じ体験」
 
なんてのは、誰も絶対にしていない。
 
 
性格も、生活環境も、背景も違うんだから、
そこで生じる体験だって、そこから湧き出る感情だって違う。
 
 
 
専門知識においても、
その人なりの見方を聞いたうえでも良いだろうし、
全部を聞けば、あなたの知識の方が間違っている可能性だってある。
 
 
 
だから、心をオープンにして「愚者」である自分になった方が
良いと思う、という話なんだけれど、いかがでしょ?
 
 
 
 
まぁ、この「愚者の耳」の最大の敵は、「自分のエゴ」。
 
 
特に、自分が尊敬していたり、好意を持っていたり(特に異性)、
自分のことも認めて欲しい相手には、なかなか「愚者の耳」に
なり切れないことも多い。
 
 
 
 
 
でも、
 
 
エゴを持って知識をひけらかすよりも、
エゴを手放して「愚者」になった方が良いことも多いので
けっこうお勧めです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
もうひとつ。
 
 
 
こちらは「王様の耳」。
 
 
「王様の耳」は、
主に相手の相談に乗っている時に活躍する。
 
 
 
相手の話をじっくりと聞き、
相手の話を総合的に考え、
 
相手が最高の判断をできるようにサポートする。
 
 
 
相手が取り得る選択肢を提示したり、
 
相手が本人の考えをまとめられるように
示唆的に質問をしたり、
 
相手の状況を、他の例で喩えたりする。
 
 
 
「愚者の耳」とは対照的に、
自分の知恵を最大限に相手に提供するために、
静かに話を聴くという聴き方。
 
 
 
相手をコントロールするのではなく、
 
相手の自由と尊厳を認識し、
 
話したいことはすべて話してもらう。
 
 
 
 
そして、話をしている本人も気づかなかった
自分の心の底にある思いや、
 
今まで全く見えていなかった「第3の道」に
気づいてもらったりする。
 
 
そんな感じ。
 
 
 
 
 
これは「愚者の耳」では、不可能だと思う。
 
 
場合によっては、一時的に相手が怒り始めても
じっくりと耳を傾け、相手に必要だと思われる
ギフトを提供する。
 
 
全精力を使って、相手に向き合う。
 
 
そんな聴き方。
 
「王様の耳」があると思うんだよね。
 
 
 
  
 
まぁ、「王様の耳」は、日常生活では
あまり登場することは少ない。
 
 
ここぞという時に、相手から真剣な相談を受けた時に
静かに登場する感じだよね。
 
 
 
 
 
 
さてさて。
 
 
 
日常会話、インタビューなどで活躍する「愚者の耳」。
 
そして、相談ごとなどの時に活躍する「王様の耳」。
 
 
 
どちらも、相手が話したいことを話してもらい、
オープンになってもらうのが大切だと思う。
 
 
 
 
なので、
 
いずれの聴き方にしても、
聴き手のエゴとか、コントロール欲求は
邪魔になることが多いだろうね。
 
 
 
私自身が、誰に対してもジャストフィットな形で
話を聴くことが出来ているかはわからないけれど、
 
 
せっかく「愚者の耳」「王様の耳」と定義することが出来たので、
これからは頑張って行きたいと思いますわ。
 
 
ではでは。
 

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