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ハートの火は、借りれない。

今までいろんな人に色々とお伝えしてきたし、
自分自身もイロイロとやってきたけれど、
 
「これだけは間違いないな」
 
と思うことがある。
 
 
それが、
 
「心の火をつけるのは、いつも本人」
 
ということ。
 
 
 
何かの学びにしても、遊びにしても、
コミュニケーションにしても恋愛にしても、
 
「これ、やろう!」
 
「こうしよう!」
 
と情熱に火をつけるのは
その人本人にしかできない。
 
 
、、、っていうか、
その人本人もコントロールできない。
 
もう、自然発火しかない。
 
 
そんな風に思う。
 
 
 
 
「本当は、やりたいのに!」
 
「これをやれば、うまくいくのに!」
 
と思っても、肝心のハートさんは
 
「シーン」
 
と静まり返っていて、
いっこうに火がつく気配もなかったり、
 
 
 
「いや、これダメだろ」
 
「これに熱中している場合じゃないだろ」
 
と頭で冷静に分析しようとしても
 
 
「ヒャッハー!!ウキウキー!!!」
 
 
とハートがサンバをフリフリ踊ってしまうような時もある。
 
 
 
そして、どんなに情熱的に燃えていても、
ある時突然
 
 
「あれ?」
 
 
というくらい、シュゥゥゥンと
ハートの火が潰えてしまう時もある。
 
 
 
こりゃ、コントロールできない。
 
しようとしても、うまくいかないし、
無理やりしても、つまらない結果になる。
 
 
 
なので。
 
いろんなことで講師としている身としては
 
 
「ハートに火をつけるきっかけは提供できる。
 火がついたハートに薪をくべることもできる。
 
 でも、火がつくかどうかだけは、本人次第だ」
 
 
ということを肝に銘じておかないと、
ザ・ありがた迷惑の極みになる、と思っている。
 
 
 
誰かの情熱に当てられて
 
 
「よし!私も!」
 
 
みたいに思っても、それは
ハートの真芯に火がついていないので、
一時的なものになる。
 
 
ハートにつける火は、誰にも借りることは出来ないのだ。
 
 
 
情熱は、湧き上がるものだ。
 
恋は、するものじゃなくて落ちたり患ったりするものだ。
 
 
 
ハートと頭は、まったく別のものだ。
 
頭でハートをコントロールしようなんて
バカげているとしか思えない。
 
 
 
 
 
ただ。
 
 
さっきも言ったように、
 
最終的に火がついて、それが燃えるかは
本人次第だけれど、
 
火をつきやすくしたり、
 
ついた火に薪を用意することはできる。
 
(その薪を受け取ってくれるかは、
 また相手次第だけれどね)
 
 
 
だから、
 
 
「これ、やってみない?」
 
「ここ、行ってみない?」
 
 
とお勧めしたりすることは決して無駄じゃないし、
 
 
「きあいだー、きあいだー!ふぁいやー!!!」
 
「いける!やれる!まだまだ!」
 
 
と応援することは素晴らしいし、
 
(いや、この応援はウザいな)
 
 
 
相手が望むのであれば、
「それ」を、もっと円滑にできる方法を
アドバイスするのも、必要なことだと思う。
 
 
 
 
勉強でも、恋愛でも、筋トレでも、
 
 
「お前、やる気だせや」
 
「火ぃ、つけろや」
 
 
なんていうのは、余計なお世話。
 
押しつけて動くようなもんじゃない。
 
 
本人だってコントロールできないんだから
ましてや誰かに言われてどうこうできるものじゃない。
 
 
 
 
そうじゃなく、
 
そっと相手の心をノックし、
心のドアが開いたら手を差し伸べる。
 
 
誰にでも、そんな風に接することができたら理想的だな、
なんて思っちょります。
 
 
・・・思っている、とは言ったが
できているとは言ってないからな!!!
 
 
 
ではでは! 

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