フェイスブックやブログ、メルマガとか
チラシやダイレクトーメールにいたるまで
世の中にはいろんな告知がある。
その中には
「うおお!さすがうまいっ!」
と思うようなものもあれば
「ん?…んん。。。うん」
と残念な気持ちになるようなものまで様々だ。
ワタシも今も勉強中だし
偉そうなことを言うつもりはないんだけれど
「ひびく告知、残念な告知」
のポイントのひとつが分かったので
今回はそれをシェアしたいと思う。
。。。といっても、そのポイントは
とってもシンプルだ。
それは、「主観発信」と「俯瞰発信」の
塩梅、バランス。これにつきる。
ここでいう「主観発信」というのは、
発信者の思いや価値観が前面に出たもの。
簡単に言うと、
「読んでいる人は、
私に興味があるに決まってるし
私の価値観に賛同している」
という前提のもとに発信される内容だ。
狭い業界内でだけ使われているフレーズの
オンパレードだったり、
私は素敵!だって私だもん!的な
ロード・オブ・ナルシストな内容だったり、
私のコンテンツのことは
もう充分知っていますよね?的な
前提条件が厳しすぎるものだったり、様々だ。
いやね。
いいんですよ。
どんな発信をしてもいいし、
誰がどんな生き方をしてもかまわない。
少なくともブログやフェイスブック、
メルマガなんかは、その人に興味があるから
見ているわけなんだから、あながち
間違っているわけでもないし。
ただ、
「告知」としては、
それがベストかどうかは
クエスチョンマークがつくぜオーマイハニー
対して。
「俯瞰発信」というのは、逆。
自分が興味を持っているという事や
自分自身はとりあえず置いておいて、
できるだけ客観的な事実を伝えようとしているもの。
記録なんかはそうだし、
箇条書きにしてあるようなものは
俯瞰的内容が強い。
冷静にものごとを分析したりするには
最適な文章なのだろうし、
クールさを演出できたりもする。
ただ、
こちらの俯瞰発信だけの文章も
「告知」としては、面白みに欠ける。
なるべく客観的にしようとするのは
ある意味ユーモアも人間味も削れてしまったりもする。
「え?告知はしているけれど、
で、それってあなたにとっても私にとっても
どんな意味があるの?」
「いいの?それとも悪いの?」
「本当に来てほしいとか、
買ってほしいって思ってるのユー?」
という風にも受け止められてしまう。
なので。
告知文は「主観発信」と「俯瞰発信」の
バランス、塩梅が非常に大切だな、と思う。
主観発信だけだと、しょっぱい文章だし、
俯瞰発信だけだと、なんか酸っぱい文章だ。
そうではなく、
自分が商品やお客さまや自分自身に
愛情を持っている事は存分に伝え、
かつ、
一方で、「それ」について知らない人や
さほど興味のない人にも配慮する。
読み手を理解してから、理解してもらうような文。
相手のフィールドに入ってから、
こちらのフィールドにお誘いするような文が
あくまで「告知」としては、
いいんじゃないかな?なんて思う。
「私のことぉおおぉぉおおーー!!!
見てーっ!!!!」
とオペラ調に語られても、ちょっと引く。
だからと言って
「あなたと私は、
まったくの他人ですが告知します」
だと、ちょい寂しい。
こっちが引く前に相手が引いとる。
まぁ、バランスってぇのは難しいけれど、
メディアによってちょいちょい修正すると
より良いのかもしれないね。
(メルマガはファンが多いから
主観発信を多めにする、とか?)
↑
(フェイスブックもブログもメルマガも
同じ内容のワタシが言えた義理じゃない)
「でも、そんなに器用にこなせないよー」
という人には、塩梅調整の仕方のヒントを。
主観発信が多い人(ワタシを見て派)の人は、
誰か別の人の告知文を書いてみればいい。
できれば、好きでも嫌いでもない人の告知文がベストで、
そんなに長い文章じゃなくても構わない。
その、冷めた心にはきっと
俯瞰した言霊が宿るだろう(笑)
反対に、
俯瞰発信が多い人(クールだよ派)の人は、
自分の感情的な独り言を
文章に書いてみるといい。
感情的なことであれば何を書いてもいいので
「この、薄汚いドロボウネコめ!」
とか
「なんでボクだけがこんなに頭がいいんだろう?」
とか書いてもオッケー。
(昔、サザエさんのカツオの歌で
こんなナルシスティックな歌詞があったなー)
どこにも出さなければ、どちらも害はない。
さてさて。
文章は、その人の心象風景を
如実に表してしまうもの。
特に、何かにお誘いする告知文は、
難易度が高い。
でも、その根っこは
「自分の思い」
と、
「相手への思いやり」
の、「思いのカクテル」なわけだ。
できるかぎり、「おいしい配合」で
届けられるようにしたいものだよね。
ではでは。