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「嫌われる勇気」 ≠ 「嫌う許可」

改めて考えてみると、私の友達は
他の人への悪口が、極めて少ない。
 
かなり親しい間柄になっても、
誰かに対して悪態をついている姿を見ることが
ほとんどない。
 
 
もちろん、
 
 
「あの人とは、生き方が異なる」
 
 
とか、
 
 
「あの行為については、どうかと思う」
 
 
みたいな話が出ることはあるのだけれど、
その裏には
 
 
「でも、私にはできないことをやってのける
 そこにシビれる!あこがれるゥ!」
 
 
という敬意もこもっていることが多い。
 
 
 
逆に、
 
それよりもその場にいない人を
 
 
「あの人知ってる?
 めっちゃいい人なんだよ、
 そういえば、この前も。。。。」
 
 
みたいに、褒めたたえる事が多い。
 
 
 
 
ここまでなら、
 
 
「ああ、いい人が周りにいてよかった」
 
 
という話なんだけれど、
話はここで終わらない。
 
 
いつものように「ではでは」と、
話を終わらせるタイミングじゃない(笑)
 
 
 
さて。
 
 
「なんで、悪口を言わないのだろう?」
 
 
そんな考察をすると。
 
 
 
私の友達の何人かは、
多くの人に影響力のある人も多い。
 
 
そして、影響力や人との接点が多い分、
誤解をされたり、なんとなくの印象で
ネットに誹謗中傷を書かれている人もいる。
 
 
実際に会った人ではなく、
実際に接点を持った人でもなく、
実際にお客様になったわけでもない人に、
 
 
「○○って人は、××に違いない!」
 
「○○って人は、思いあがってる」
 
「○○って人は、なんか怪しいし、詐欺だ!」
 
 
みたいに書かれていたりする。
 
 
それは、影響力が大きく、目立つ分
仕方のないことなのかもしれないけれど、
それにしても、いろいろと書かれていたりする。
 
 
「もう、そんなん、ほっとけや」
 
 
と思うことが出てきたりする。
 
 
それなのに、
 
「私は、実際に○○さんに会って、被害を受けました」
 
という記事は、ひとつも出てこない。
 
 
 
もう、嫉妬?それだけなの?
 
という感じだ。
 
 
 
 
 
で、
 
 
そんな風に悪口をいろいろと書かれている人であればあるほど
他の人の悪口を、自分からは言わない。
 
 
「私もいろいろ言われてるんだから、いいじゃない。
 言い返してあげるわ!倍返しだ!」
 
「コ・ノ・ウ・ラ・ミ
 ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ!」
 
 
みたいな人を見たことがない。
 
 
 
本人は、いわゆる「嫌われる勇気」を備えている。
しかし自分が誰かを「嫌う許可」は辞退している。
 
 
 
「誰かから嫌われるのは、悲しいけれど仕方ない。
 でも、だからといって私が
 誰かを嫌っていいというわけではない」
 
という、一貫した姿勢がある。
 
 
 
 
それは、一面には
 
「影響力があるから、気をつけているのだろう」
 
という見方もできる。
 
 
でも、相当仲良くなっても言わないんだから
それだけではないと思う。
 
 
 
 
そこには、やっぱり
 
「傷ついた経験」
 
が生きているんじゃないかな?なんて想像する。
 
 
 
人は、残念ながら
自分と離れれば離れるほど、
相手の喜びや悲しみを感じにくくなってしまう。
 
 
身近な人の喜びの方がダイレクトに響くし、
日本から遠く離れた人々の悲しみは
近くにいる人のそれと比べると希薄だ。
 
 
なので、誰かを攻撃する言葉も、
自分と距離があると辛辣さを増す。
 
 
自分の友人を、面と向かって攻撃できる人は少ない。
しかしネットを通すと、ひどいことを言えてしまう人もいる。
 
芸能人の方々なんて、
けっこう、ひどい言われようをしている人もいるものね。
 
 
 
 
ただ、
 
 
言われる側としては、
思っている以上に、けっこうダメージを受けている。
 
 
 
ひどいことを書かれれば、
人間なので、やはり辛い。悲しい。
 
 
遠くから放たれた「悪口の矢」であっても、
矢が当たった側とすれば、痛いのだ。傷つくのだ。
 
 
 
それを身をもって痛感しているからこそ、
 
 
「私は人を傷つけるのはやめておこう」
 
 
と、自分を戒めているのかもしれない。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
世の中には名著『嫌われる勇気』を読んで
それこそ勇気をもらった人も多いだろう。
 
 
ただ、中には
 
 
「そうか!嫌われてもいいんだ!」
 
 
と、傍若無人な態度を取る自分に許可を与えたり、
誰かに辛く当たる自分を
 
 
「嫌われてもいいもんね」
 
 
と、曲解してしまっている人もいるかもしれない。
 
 
 
どんな風に捉えても、それはその人の自由。
 
 
 
 
だけれど、
 
 
個人的には
 
 
「嫌われる勇気」
 
 
というのは、自分が進む道を真っ当に進む中で
生まれる誤解に、足を止められるな、
という意味だと思うし、ましてや
 
 
「あなたは誰かには嫌われる。
 だから、あなたも誰かを嫌っちゃいなよユー」
 
「嫌った人のことは、攻撃しちゃいなよユー」
 
 
という話ではないと思う。
 
 
 
 
「嫌われる勇気」は大事。
でもそれは「嫌う許可」とセットなのではなく、
 
 
「違う道の人々を認める」
 
「自分も、他の人も
 好きな道を歩んでいいという許可」
 
 
ということなのじゃないかな?
 
と思う。
 
 
 
 
遠くの人の痛みも分かる。
 
 
そんな人間になりたいものですわ。
 
 
 
ではでは。
 

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