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言葉の役割と限界。

今さら言うまでもないかもだけれど、
私は言葉の力を信じている。
 
言葉こそが世界を変え、
人間が人間で在れるのも
言葉の力が大きいとすら思っている。
 
 
ただ、
 
言葉を愛するがゆえに、
言葉の限界も理解しているつもりだ。
 
言葉は時に万能に映るかもしれないけれど、
実際のところは、その役割は明確で
力は限られている。
 
 
 
言葉は、
 
「本質と感情の間に立つもの」
 
である。
 
 
 
言葉には、
物事の本質や原則をねじ曲げる力はなない。
 
一時的に、そう見せることができたとしても、
いつかそのメッキははがれ、その言葉は
「嘘」として認識されるようになる。
 
 
「地球に重力はない。
 りんごは地面に落ちない」 
  
と、どんなに流麗に書いたとしても
りんごは地面に落ちる。
 
なぜならそれは、万有引力という原則だから。
 
 
 
しょうもない商品を、
どんな素晴らしい言葉で褒めたたえたとしても、
それは長期的には「嘘」になる。
 
どんなコピーライティングをもってしても、
そのものが持つ本質的価値を超えることはできない。
 
ってか、しちゃいけない。
 
そのものが持つ商品力、オファーを超えた価値を
お客様に届けることはタブーだ。
 
 
 
どんなに素晴らしい未来をスピーチしたとしても
実現可能な戦略と実行力がなければ
それは「ホラ」となる。
 
本質的な実力がなければ、
輝かしい未来への約束は、
将来鋭い刃となって、言った本人を刺す刺客となる。
 
 
 
 
さらに。
 
 
言葉は、行動そのものには、なり得ない。
 
感情を動かすところまではできても、
行動につながるかの判断は、
言葉を受け取った本人にゆだねられる。
 
 
「感動した!明日から本気出す」
 
と、どんなに言ったところで、
実際の行動になるわけではない。
 
 
 
どんな素晴らしいアドバイスをもらったところで、
新しい未来を切り拓くためには
本人の行動がなければ叶わない。
 
「自分にとって最高のアドバイス」を探しているうちは
1ミリも未来は変わらない。
 
 
 
どんな良いアイディアを思いつき、
それを言語化できたとしても、
実行に移すまでは、絵に描いた餅でしかない。
 
 
言葉そのものであったとしても、
口に出し、ペンで書き、キーボードを叩かない限りは、
その存在はゼロでしかない。
 
 
 
 
 
言葉は、
 
本質や原則、価値に沿って発せられた時に、意味を成す。
 
その本質を、どう受け取ってもらうようにするのかが
言葉の役割だ。
 
 
本質をねじまげることはできないし、
行動を強制させることは、言葉だけではできない。
 
 
 
言葉は、感情を呼び起こす魔法。
 
 
その感情は、激しい喜怒哀楽かもしれないし、
 
「ふぅ~ん」かもしれないし、
 
「なるほど!」かもしれないし、
 
「この契約を守らねば」かもしれないし、
 
「記録として理解しました」かもしれない。
 
 
いずれにしても、なんらかの感情を湧き上がらせるのが
言葉の役割だと考えている。
 
それ以上でも、それ以下でもない。
 
 
 
 
 
これは、
 
「言葉なんて、大したことないよね」
 
と、卑下しているわけじゃない。
 
 
 
言葉の力を正しく使うためには、
その役割と限界を知っておかなければならない。
 
 
言葉で本質をねじまげたり、
そのもの以上の価値を吹聴してはいけない。
 
 
言葉によって、誰かの行動をコントロールできると
傲慢になってもいけないし
行動してくれるだろうと期待してもいけない。
 
 
 
なぜなら、それは言葉の役割を超えているから。
 
 
 
 
言葉は、本質と感情の仲介者。
 
 
その感情ですら、狙った通りに行くかはわからない。
ましてや、行動をや、だよね。
 
 
 
 
 
 
さてさて。
 
 
これを読んでくださっているあなたにも、
大切にしているものがあると思う。
 
 
特定のスキルだったり。
特定の道具だったり。
 
 
もし、それを愛しているのであれば、
そのスキルや道具の持つ役割を知るばかりではなく、
 
そのスキルや道具の限界やタブーを
正確に知っておくことは、良いことなのかもしれない。
 
 
それは、そのスキルや道具をバカにすることではなく、
むしろ、深い愛情の証拠でもあるとおもうので。
 
 
あなたの大切にしている「それ」は、
どんな役割を持ち、それをあなたは、
どう発信していますか?
 
 
 
ではでは。

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