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「期待しない」の、さじ加減。

なにやら自己啓発的なナンヤラでは
「期待しない」って言われるやん?
 
期待しないで変えられるのは自分だけで
過去だって解釈次第だから執着を手放して
今を生きるとほら顔晴れる!
 
みたいな?
 
 
、、、まぁ、ちゃかすわけじゃなくて
それぞれ大切なことだとは思うのよ。うん。
(顔が晴れたり、○○円を縁とかいうのは好かんが)
 
 
 
ただ、その中で、
 
「期待しない」
 
のって、ちょい冷たい印象を受けない?
 
 
 
他のも、モヤンとかイラっとすることもあるが ←
けっこう、ごもっともだと個人的には思う。
 
 
 
だけど、
 
「期待しない」
 
ってのは、なんか冷めた感じというか、
ニヒリストになっちゃうような印象を受ける。
 
 
 
いやね、言いたいことは分かるのよ。
 
期待ってのは、
相手とか現象とかに対する偏った
エゴイスティックな未来への一方的な思い込みだから
そんなのはあかんで、ってことやろ?(え?ちがう?)
 
 
 
でも、だからと言って「期待するな」ってなると、
 
「世の中なんてウソつきばっかり!
 もうキライ!みんなみんな大っキライ!」
 
的なサイドに少し寄るような気もするし(しないか?)
あるいは、
 
「フッ、、、、誰かに期待するなんて、まだ青いな、、、
 この世で信じられるのは、自分と金だけさ」
 
みたいにもなりかねない、ような気もする(しないか?)
 
 
 
なので、「期待しない」をそのまま捉えると、
愛とは逆方向に心が向かってしまう気がするのは
はてワタシだけなのだろうか?
 
 
 
、、、と、そんなことを考えてる中で、
完全に個人的にだけれど、
 
「期待しない」ってのと「愛を持つ」の
適度なバランス感覚っていうか、さじ加減が、
 
「ああ、こんなものかな?」
 
と思えてきたので、その例えをシェアしたいっす。
 
 
 
例えばさ。
 
 
機械とかメカものに詳しくない人の方が、
なぜかそこに対する期待度って高くね?
 
 
カーナビとかなら、
めちゃ機械オンチの人であればあるほど、
 
「ええ?ぜんぜん時間どおりに着かないじゃん!!」
 
とか、
 
「この道が本当にベストなの?
 もっといい道あるじゃん!!」
 
とか、
 
「なんでもっと分かりやすく教えてくれないの!!!?」
 
とか言わね?
 
 
 
他にはパソコンとかでも、
 
「ダウンロード時間、全然ウソじゃん!
 ってか、さっきより、しれっと増えてるじゃん!」
 
とか、
 
「なんでこんなに遅いの!?」
 
とか、
 
「何時間も書いてきた資料、
 フリーズで消えたんだけど!!」
 
とか、ガンガンに文句言うのって
むしろパソコンが苦手な人の方が多くね?
 
 
 
そうじゃなくて。
 
逆に、機械ものに慣れ親しんでいて、
熟知している「機械にやさしい人」ってのは、
 
 
「ああ、カーナビの到着時間は目安だから」
 
「まぁ、カーナビならこの道選ぶよね」
 
「実際の道路状況によって違うよね」
 
 
みたいに、カーナビの限界を知りつつ
それでもカーナビにお世話になって感謝してるように思う。
 
 
 
パソコンも
 
「ダウンロード時間は変わって当たり前」
 
「これだけの処理があるのに、がんばってるなぁ」
 
「フリーズする前提で保存しておこう」
 
って感じで付き合ってる。
 
 
 
機械を理解している人は、
 
カーナビやパソコンといった相手を知って、
愛情があるからこそ、限度以上の期待はしない。
 
仮に間違ったり、全然ダメだったとしても
それは「ま、仕方ないか」と普通に思って淡々と進む。
 
 
 
 
これと同じように、
 
「人を心から理解し、愛情を持っている」人は、
 
そうだからこその、
 
「期待しない」
 
という心の在り方も、持てるんじゃないかな?
なんて思った次第。
 
 
 
人に期待しないというのが
イコール相手との距離を離す、のではなく、
 
相手が「人」であるということを
とことん理解して、愛情があるからこその
「期待しない」っていうのもアリかな、と。
 
 
 
いや、もちろんそうはいかない感情的な時もある。
 
相手に期待をしていた分、がっかりすることもある。
 
 
 
でも、捉え方として
こんな風に考えてみる面もあると、
多少は「期待しない」ということに深みが出てくるかも?
 
 
あなたの視点の足しになったら幸いです。
 
私はぜんぜん出来てないんだけどな(笑)
 
 
 
ではでは。
 

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