「恋は尊敬に近く、愛は軽蔑に近い」
そんなことを、学生の頃、思っていた。
思春期の異性に対する恋心は、
「あー、あの人は、なんて素敵なんだろう」
「あの人以上の人なんて、この世に存在しない」
なんていう、けっこう純粋な「畏敬」の念に
近かったような気がするんだよね。
特に私はフラれてばっかりの思春期だったので、
好意を持った女性に対して、
「なにか崇高なもの」
みたいな思いもあったのかもしれない。
だから「恋」は、憧れ、尊敬に近かったんだよね。
そして、その後、女性とのコミュニケーションも
失敗と成功と失敗と失敗を繰り返して覚えてゆき(笑)
お付き合いをする、みたいな経験をし始める。
すると、当たり前の話なんだけれど、
自分が思い描いていた「女性への幻想」が
(いい意味で)ちょっとずつリアルになる。
相手も人間だから、機嫌のいい日もあれば
機嫌の悪い時もある。
「素敵だな」と思っている面が
24時間365日良い方向で出ているわけじゃない。
そして当然のごとく、私の思い通りになる部分なんて
ホント限られている。
(ま、その方がいいんだけれど)
で、
「あー、この人はこういう所もあるんだー」
「この性格は、プラス面で出る時と
マイナス面で出る時があるんだー」
「このクセは、なんとかならんのかねー」
なんて思いつつも、一緒にいる。
相手が人間で、完璧じゃない事を改めて知る。
そして、それ以上に完璧じゃない私と
一緒にいてくれることを感じる。
「軽蔑」というと、言葉がキツいかもしれない。
けれど、
相手を受け入れ、許し、
相手をある意味評価してしまっている
自分の愚かさや醜さを受け入れる。
それは、思春期当時の表現としては
「受け入れるという感覚の前には、おそらく
軽蔑に近い感覚を、まず持っているのだろう」
という自己認識だった。
そんな認識を持ってから、何年も年を重ね、
今思うこと。
それも、大して変わらないなぁ。
さすがに「軽蔑」というのはキツいけれど、
「相手のそのまんまを受け入れる」
「相手のプラス面と言うのは
あくまで“私にとって”プラスに見えているにすぎない」
「相手が、いち人格を持った人であることを認める」
みたいな感じなのかなぁ。と。
今一番しっくりくる言葉を選ぶのだとしたら、
「承認と貢献」なのかもしれない。
これはカッコいい話じゃなくて、
「相手を相手として認める」という意味も含まれているし、
「相手に認められたいという自分のエゴを認める」でもある。
「相手に無私のギフトを届ける」という意味も含まれているし、
「自分に対する自己貢献」でもある。
(自己貢献に関しては、またいつか書きたいですわ)
相手がいて、自分がいる。
相手や自分にエゴがある。
でも時には、無私の状態になれる。
そんなことを、深いレベルで感じられるのが
恋であり、愛であるのかもしれないね。
あなたにとって「恋」とは?
あなたにとって「愛」とは?
人から受け売りの言葉だけではなく、
自分の言葉を探してみるのも面白いかもしれないね。
完全なオリジナルな言葉や表現じゃなくても、
そこには、あなたの「恋」や「愛」の形が
表れてくるだろうから。
ではでは。