心の超回復。
以前、プロのパーソナルトレーナーの友人に、
筋トレの方法を教えてもらったことがあった。
その時に、彼が教えてくれたのは、
「いぐさん
強くて、しなやかな筋肉を作るためには
トレーニングだけやっていてもダメなんですよ」
ということ。
もちろん、適切な筋トレのメニューがあってこそ
強い筋肉ができてゆくのだけれど、
それと同等に大切なのが「食事」と「休息」。
筋力アップって、
適切なトレーニングをして負荷をかけると、
筋肉の一部が「破損」する。
↓
そこで、適切な栄養と休息を摂る。
↓
すると、以前よりも強くなった筋肉として回復!
というメカニズムらしく、
それを「超回復」というらしい。
つまり、適度な栄養摂取と
きちんとした休息がないと、
筋肉を傷めているだけ、ということになる。
いわば、熟成期間的な?
コンクリートが固まるのを待つ的な?
鉄は熱いうちに打って、水で冷やす的な?
だから、
「トレーニング」
「栄養摂取」
「休息」
というグッドトライアングルが
パーフェクトハーモニーとなって
アルティメットシックスパッカーになるわけだ。
そして。
これって、心も同じなんじゃないかな?
なんて思うんだよね。
強い心を手に入れるのに、
チャレンジは必要だと思う。
自分がやったことのないことに飛び込んでゆく。
今までの自分では太刀打ちできないような
ある意味「自己否定される場」に入る。
あるいは、自分の意思とは関係なく
なんだかよくわからないことに巻き込まれる。
そんな体験こそが、
人格と人間力を育む源になると思う。
ただ、
それ「だけ」をやっていても、
心の強さは手に入らずに、
どんどん疲弊して、しょんぼりしちゃうとも思う。
ぶっちゃけ、チャレンジし、
ココロフルボッコにされたら、かなり痛い。
「もう。。。つらいっす」ってなるし、
「なんか、今までの私って、なんなんだろう?」ってなるし、
自分の存在自体を肯定できずに消したくもなる。
でもさ。
そんな風になったら、
普通に休んでいいと思うんだよね。
好きなことをするのでも、
ふて寝するのでも、ぜんぜん構わない。
それは「逃げ」ではなく、
「心の超回復」に必要な休息なんだ。
そして、自分を認めてくれる人と
語らう時間も摂ればいい。
それが「心の栄養」となり、
あなたの「心の超回復」に摂取すべきものに、
違いないのだから。
そう。
心は鍛えられる。
少なくとも、私はそう思う。
以前は耐えられなかったであろうことも、
今は受け止められることもあるし、
完璧ではないけれど、
以前よりも人を傷つけない選択をできることもある。
感情を殺すのではなく、
感情に耳を傾けながら、たくさんの選択肢を広げて
その中で理性的チョイスできることもある。
それは、今までの経験と
心のチャレンジやトレーニングが
あってこそだ、とも思う。
しかし、その上で。
その「チャレンジ」そのものだけが
大切だったのではないと振り返る。
きっと、ふて寝したりゲームしたりした時間も
必要だったのだろう。
そして、心が干物みたいになった時に
やさしくしてくれた人たちからの支えも
本当に大切だったと確信する。
心の筋力は
1つでなく、3つが融合して創られた。
チャレンジの機会を与えてくれた人が
いてくれたからこそ、トレーニングができた。
それがたとえ、
自分がその時に望んでいなかったことであれ。
休息を許してくれた人がいてくれたからこそ、
そのチャレンジの意味を咀嚼できた。
その時の自分が、
どんなにだらしなく見えていたにしても。
そして、心に栄養を与えてくれた人が
いてくれたからこそ、また立ち上がることができた。
その人たちが、その時の自分の苦境を
知っているいないに関わらず。
そして、その3つを、
それぞれの役割でいただけたからこそ
「心の超回復」
を果たし、昨日よりもしなやかな自分に
出会うことができているように思う。
さてさて。
チャレンジ、トレーニングだけでは
心が折れてしまう。
休息だけでは、弦がゆるみっぱなしの
ギターや弓のようになってしまう。
栄養だけでは、自分が会いたい
明日の自分には会えないようにも思う。
適度なタイミングと、適度な量、バランスを持って
笑顔でいられる自分を見つけたいと思う。
あなたは、今は
チャレンジ、休息、栄養、
どれが必要な時ですか?
ではでは。