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間違い。「間」「違い」。

「ああ、間違ってしまった。。。」
 
と反省することは、私はたくさんあるし、
 
「お前は間違っている!」
 
「いやいや、あなたこそ間違っている!」
 
 
なんて、ぶつかり合ってるのを
見ることもあるよね?
 
 
そんな感じで、
けっこう普通に聞く「間違い」って言葉。
 
 
だけど、ふと立ち止まって考えると、
「間違い」って、なんだろうね?
 
 
 
場違い、手違い、勘違い。
おかど違いに、腹違い。
 
たった一文字変わっただけで、
畑違いの段違い。
 
 
 
そんなこんなで、つらつら考えてみると、
間違いの「間」ってのは、要はタイミング。
 
 
 
会話の間とか、間を狙うとか、そんな「間」。
 
 
その「間」が小気味よくないと
 
「間抜け、間延び」
 
になっちゃう、あの「間」。
 
 
時間を空間的にとらえ、
空間を時間的にとらえている「間」。
 
 
 
そうなんだよね。
 
 
「間違い」って、
その「間」が違っているだけなんだよね。
 
 
「その時」に期待していたとおりにならないと
 
「間違った」
 
というわけだ。
 
 
 
人との会話で間違っちゃうのは
「その時」に適切な態度を取れなかったわけだし、
 
株式で損失を出しちゃうのは
売買するタイミングが適切でなかったということ。
 
 
同じ爆笑でも、時を選ばなければ
人を傷つけることもある。
 
同じ言葉でも「間」が違えば
それは真逆の意味にすらなるものね。
 
 
 
 
でも。
 
 
そう考えると
 
「お前は間違っている!」
 
なんていうのは、
 
 
「あなたと私とでは
 たった今、この時を切り取った時に
 現象の見え方が違いますよね?」
 
 
と言っているようなものだから、
 
 
「それは、あたりまえ体操ですね」
 
 
としか言いようがなくね?
 
 
 
また、
 
 
「私は間違っていた。。。。」
 
 
というのも、
 
 
「今回の、このタイミングでは
 期待していたことは起こらない選択をした」
 
 
ということなので、
自分の生き方や人格までを否定することではない。
 
 
 
もしかしたら、
 
今回選択したことを、また「間」を変えてやったら
素晴らしい結果を生むかもしれないやん?
 
 
だって「間」「違い」なんだから。
 
 
 
 
 
なので。
 
 
誰かから「間違ってるよ」と言われたら
感謝を持って耳を傾けて
 
 
「この人は、タイミングが違うと感じているんだな」
 
「この人のタイミングではないんだな」
 
 
と思えばいいし、
 
誰かに対して
 
 
「こいつ、間違ってね???」
 
 
と、イラりんがきたら、
 
 
「もしかしたら、
 過去の私は同じ選択したかもしれないし
 未来の私は同じ選択をするかもしれない。
 
 前世では同じ選択したかもだし、
 来世では同じ選択するかも。
 
 だって、間違いだもん」
 
 
と思ってもいいのかもしれない。
 
 
 
そして、
 
 
自分が間違っていたと反省するのならば
次の「間」では、間抜けにならないようにすればいい。
 
 
それが間違い、ってことなのかもな。なんて思いますわ。
 
 
 
いろんな間違いを通して、
精進していきたいと思います~
 
 
 
ではでは。

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