祖国が滅ぼされた。
隣国からの侵略を受け、我が祖国は、
あっという間に支配されてしまった。
そして、あっという間に祖国は隣国に吸収・併合され、
ひとつの国として扱われるようになった。
祖国を失った少年は、
折れた剣、傷ついた鎧が散乱する焼け野原の中で、
たった一人、呆然と立ち尽くした。
自分を愛してくれた両親も、
友達も、
幸せな時間も、
すべてを奪われてしまった。
そして、すべてを奪った存在が、
これから彼の“祖国”となる。
その現実を受け入れなければいけないことに、
少年の心は引き裂かれた。
なにより、現実に対して何もできず、
受け入れるしかない自分自身に、
どうしようもない怒りを感じていた。
少年は誓った。
いつか。いつか。
この思いを、晴らす。
彼は、いつもの癖で、
自分の耳たぶをいじりながら、
心の奥底から湧き上がる感情を噛みしめていた。
あれから二十数年が経った。
国は存亡の危機を迎えていた。
小さな国を次々と支配下におさめてきたものの、
世界でもっとも強い国になったわけではない。
こちらの国よりもはるかに強大な軍事力を持つ大国に、
目をつけられてしまったのだ。
もし、少しでも大国の機嫌を損ねるようなことをしたら
間違いなく戦争状態となり、
ひとひねりで支配されてしまうだろう。
存亡の危機を迎えた大臣は、
大国からの使者を、部屋に丁重に迎え入れた。
「これはこれは、遠方よりようこそいらっしゃいました。
どうぞ、おくつろぎくださいませ」
大臣は、出来る限り相手を刺激しないように、
細心の注意を払いながら、使者をねぎらった。
使者は、眉ひとつ動かさず、どかっと革張りの椅子に腰をかけると、
『我々も、出来る限り戦争は避けたいと思っている。
お前たちが、我々の要求に応えればいいだけだ』
と口を開いた。
大臣のそばに控えていた通訳官が、
すばやく使者の言葉を自国の言語に通訳する。
「使者の方も、戦争は避けたいとおっしゃっています。
要求に応えればいい、と言っています」
大臣は通訳官の言葉を聞くと、多少安堵したのか、
目の前のグラスに口をつけた。
そこに。
「親のかたきっ!!!!」
と、ドアを蹴破り、ナイフを手に大臣に突っ込んでくる青年が
飛び込んできた。
あまりの突然のことに、そこにいた誰もが
動けずにいた、
が、
ちょうど大臣のそばにいた通訳官が盾になり、
ナイフは通訳官の腕に刺さったものの、
大臣までは至らなかった。
突然の侵入者は、屈強な兵士たちに取り押さえられながらも
絶叫をやめなかった。
「お前たちのせいで、祖国も、家族も失った!
この二十数年来の恨み、いつか晴らしてやる!!!」
侵入者は、兵士たちに取り囲まれ、
部屋から引きずり出された。
おそらく、二度と陽の目を見ることはないだろう。
「大変失礼しました」
大臣は使者に謝罪をすると、
「我々も、過去にはたしかに他の国を侵略しました。
中には、先ほどのような怒りを感じるものもいるのが事実です。
このようなことを繰り返すことのないよう、
我々ができることは、何でもしたいと思います。
どうか、なんなりとご要望をおっしゃってください」
と伝えた。
使者は、先ほどの騒ぎなど気にも留めない様子で、
『我々がそちらに要求するもの。
それは、香辛料だ。
そちらには、さまざまな植物からとれた
香辛料が豊富にあると聞いている』
と、言葉少なに言い放った。
大臣は、腕に包帯を巻きながらも通訳を続ける
通訳官の言葉を聞くと、満面の笑顔で使者に伝えた。
「おお!それなら全く問題ございません。
わが国には、実に様々な香辛料がございます。
世界中どこに行っても、わが国ほど香辛料が豊富な
ところはないでしょう。
香辛料で、我が国にないものはございません」
大臣は他にもたくさんの言葉で、
出来る限りこちらの誠意を伝えようとした。
言葉が言葉を生み、あまりにもたくさんの言葉で
伝えようとしたため、通訳官は少し戸惑った。
通訳官は、大臣の言葉を聞くと、
使者に伝える前に大臣に耳打ちをした。
「大臣のお言葉、あちらの使者の方には
理解しにくい所があると思います。
なにぶん、異国の方ですので。
私が、できるかぎり大臣のお気持ちが伝わるようにしますので、
大臣は、こちらの真剣さが伝わるように、
真顔でお座りになっていてください」
大臣は、先ほども実を呈して自分を助けてくれた
通訳官の耳打ちに、
「よし、わかった。
わしは真顔で相手を見ているから、
出来る限り正確に伝えてくれ」
と、通訳官にささやき返した。
通訳官はうなづくと、使者に対して、
使者の大国の言葉で、こう告げた。
『ただいま、こちらの大臣がたくさんの言葉で伝えましたが、
ひと言でこちらの意志を伝えると、こうなります』
使者は、
『うむ、返事を聞こう』
と言うと、通訳官は、一呼吸置いて、使者に言った。
『ないものは、ございません』
使者は、わずかに表情をこわばらせると、
つとめて冷静に、通訳官に向かって口を開いた。
『お前たちの国には、たくさんの香辛料があるじゃないか?
たしかに、大臣は“ない”と言ったのか?』
通訳官は、
『はい。たしかに大臣は
“ないものはございません”と言いました』
とだけ伝えた。
使者は、先ほどまで笑っていた大臣が、
急に表情を変えたのを見てとると、
椅子から立ち上がった。
『そうか、ならそちらの大臣に伝えてくれ。
“次に会うのを楽しみにしている”とな』
通訳官は、
『かしこまりました』
と使者に伝え、使者の背中を見送った。
大臣は、使者の最後の言葉を通訳官から聞くと、
戦争が回避できたと解釈し、大いに喜んだ。
数日後、宣戦布告の知らせを聞くことになるなど、
夢にも思わずに。
通訳官は、外交中に乱入してきた青年が
閉じ込められている牢までくると、
パンを差し出しながら、青年に伝えた。
「同じ祖国を持つ者よ。
我らの怒りは、たかが大臣ひとりの命で晴れるものではない」
通訳官はそう言って、
彼の昔からの癖である、耳たぶをいじりながら、
今はなき祖国と家族に思いをはせた。