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学びと気づきの間に。

先日の連休中、泊まり込みで
シークレットセミナーを行なってきたのね。
 
まぁ、ここで「シークレットセミナー」と言っている時点で
ぜんぜん秘密じゃないんだけれど(笑)
 
 
参加してくれた人全員が真剣にセミナーを受けてくれて、
それぞれが自分で課した課題を乗り越えてくれて
本当にうれしかった。
 
 
もちろん、講師としては
 
「もっとココは気配りすべきだった」
 
とか、
 
「ココに気づけなかったのは甘かった」
 
 
と、いつもながら
 
 
「ふーん。偉そうに語っているけれど、
 で、お前は出来ているのか?」
 
 
と自分の作ったコンテンツに
あざ笑われるようなことも起こりつつ、
それでも、これからもやり続けようと思った次第。
 
 
 
 
さてさて。
 
 
私のセミナーに今回参加してくれた人はもちろんのこと、
普段から私の書いた記事を読んでくれている人は、
非常に意識の高い人ばかりだと思う。
 
自分を含めた周りを豊かにしようと頑張っているだろうし、
そのためのコツコツした努力も続けている人が多いのは
間違いない。
 
 
そんな中、あえて言うのも変なんだけれど、
ついつい忘れてしまいがちなことを、ひとつだけ。
 
 
 
多くの事から学びを得る事は大切だ。
 
そして、気づきを得て、今後の人生を
よりよくしていくことも、とても素晴らしいと思う。
 
 
人は何からでも学べるし、
どんな些細な事からも気づきを得ることが出来る。
 
 
ただ、
 
その「学び」や「気づき」の間には、
「遊び」という空間を持っていたほうがいいなー、
なんて思う。
 
 
 
誰かに
 
「なんでそれをやるの?」
 
と聞かれた時に、
 
 
「豊かな人生を送るため」
 
「今よりも成長するため」
 
「将来の自分が後悔しないため」
 
 
と答えるのも、とても素晴らしい。
 
 
と、同時に、
 
「んー?なんとなく」
 
とか、
 
「今が楽しいから」
 
とか、
 
「え?考えてないよそんなこと」
 
と答えるのも、同じように素晴らしいと思う。
 
 
 
自分に「遊び」がある人は、やっぱり魅力的だし、
何より他の人の「遊び」を許容できる。
 
 
「ここから何を学ぼうか?」
 
 
という思考回路だけを持っていると、
ついつい相手にも
 
 
「あなたはココから何を学んでいるの?」
 
「学んでいなきゃ、ダメだよ!」
 
 
という「ウザめキャラ」になりがちになってしまう。
 
(と書いてみて、私自身が一番黄色信号だということに
 あらためて気がついた。笑)
 
 
 
 
長い人生の中で、
 
「とことん学ぶ時期」
 
「すき間なく仕事する時期」
 
っていうのは必要だろう。
 
 
ただ、そういう時にこそ
 
「あえて遊びをいれてみる」
 
「相手の遊びを許容する」
 
みたいな心のゆとりを持つと、
かえって良いことが起こるのかもしれないね、
なんて思う。
 
 
一生、ずっと行進曲に沿って
 
「ザッ、ザッ、ザッ、ザッ」
 
と行進するんじゃなくて、
たまにはのんびりレゲエのリズムを味わってみてもいい。
 
そんな感じかな?
 
 
 
 
さてさて。
 
学ぶことや気づくことは、とっても大事。
 
 
ただ、いつも学んだり気づいたりしていなければ
いけないわけじゃない。
 
 
学んでもいない。気づいてもいない。働いてもいない。
 
 
それを
 
「私は怠けている」
 
「現実逃避?」
 
なんて思う必要は、まったくない。
 
 
自動車のハンドルだって、
遊びの余白がなければ機能しない。
 
ギターだって、ずっと弦を張り詰めていたら
いい音で奏でられなくなる。
 
 
ただ、なんとなく時間が過ぎてる。
 
過去にも未来にも、なんの生産性もない。
 
 
そんな「遊び」こそが、
実は豊かさの源泉だったりするのかもしれないね。
 
 
 
 
セミナー参加をしてくれたみなさま。
 
講師の私がこんなことを言うのもおかしいかもしれないけれど、
あとはゆっくり、じっくり、変化が向こうからやってくるのを
待つ時間も持ってみてくださいませー
 
 
 
そして、今回の記事を読んでくれたあなたへ。
 
 
今日のこの記事からも、
何も学ばなくてもいいんだからね(笑)
 
 
ではでは。
 

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