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満足感を与えるという罪

おかげさまで、自分でセミナーを開催したり、
セミナーの運営に携わったりすることができている。
 
その中で、最近感じること。
 
 
それは、
 
「参加してくれた人に満足感を提供するのは
 こっちのエゴだ」
 
ということ。
 
 
 
もちろん、参加してくれている人は、
 
貴重な時間を費やしてくれて、
 
遠くから足を運んで会場に来てくれている。
 
参加までに、さまざまな障害や葛藤があったかもしれない。
 
お金も支払ってくれている。
 
 
だから、全力で参加してくれた人と向き合い、
相手が欲しているニーズに応えようとしなければならない。
それこそ、真剣に。命をかけて。
 
 
 
でも、
 
 
真剣に、命をかけて情熱を注ぎ込んだとしても、
たかだか数時間~数日のセミナーで、
参加してくれた人のすべてを変えることなんて、できない。
 
 
参加してくれた人が、本当の変化を遂げるためには、
 
セミナーから得た知識や体験を活かし、
行動し、継続するからこそ、変化が起きる。
 
 
それは、
 
株や不動産投資のセミナーであっても、
 
自己啓発のセミナーであっても、
 
対面コーチングであっても、
 
お片づけセミナーであっても、
 
ダイエットセミナーであっても、
 
同じことだ。
 
 
 
例えば1週間ぶっ通しで、徹底的に何かを伝えたとしても、
参加してくれた人の人生が80年だとしたら、
たったの0.02%の時間にすぎない。
 
 
その時にした体験で
 
「あー、面白かった」
 
「勉強になったなぁ~」
 
なんて思ってもらったとしても、
その参加者が、より(色々な意味で)豊かになるためには
全然足りないわけだ。
 
 
 
なので、
 
 
主催する側に必要なのは、
満足感を提供する以上に、
 
「向上心」
 
に目を向けてもらい、
 
「さらに深く、高く、広い世界があるということ」
 
ということに気がついてもらうことだなぁ、
なんて思うんだよね。
 
 
 
 
 
 
たとえば、
 
はじめて料理をする人に、目玉焼きを教えたとしよう。
 
料理を学ぼうとしてくれた人に対して、
まず目玉焼きを作れるようになってもらうことは大切だ。
 
 
だけど、それと同じかそれ以上に大切なのは、
 
「料理は、目玉焼きだけではないこと」
 
「あなたが望むのならば、世界にはもっと
 深く、広い料理の世界があること」
 
「目玉焼きも、今回限りで作らなくなったら
 また作れなくなってしまうこと」
 
を伝えることだと思うんだよね。
 
 
 
目玉焼きを作れるようになったことで満足する人は
もちろんそれでいい。
 
 
でも、目玉焼き以外の選択肢や可能性を見せないまま、
 
「料理とは、目玉焼きのことなんだな」
 
と、思わせてしまうのはもったいないことだし、
教えている側のエゴであるとすら感じる。
 
 
 
さらにこれは、セミナーに限らないこと
だと思うんだよね。
 
 
お客様に商品を説明すること。
 
親が、子供を教育すること。
 
リーダーが、部下に伝えること。
 
 
などなど、すべてに共通すると思う。
 
 
 
 
その時だけを切り取ると、
完全に満足感を提供するだけで終わった方が気持ちいい。
 
参加してくれた人にとっても、伝える側にとっても。
 
 
 
でも、 
 
 
「なんか、不完全燃焼だなー」
 
「もっと教えてくれてもいいのに、ケチ!」
 
 
と言われようが、参加してくれた人が
今よりさらに新しい世界を感じ取り、
 
 
「じゃあ、もうちょっと自分でやってみるか」
 
 
と動き出すきっかけを提供する方が、
やっぱりいいんじゃないかな?なんて思う次第。
 
 
 
そこで完結する満足感を提供して、
 
「すごいです!」
 
と言われる人になるよりも、
 
 
 
「あー、なんか歯切れが悪いね」
 
「いつになったら、完全理解できるんだよ!」
 
と、文句を言われながらでも、
参加してくれた人が継続して行動してくれるような
講師になりたいなー、と思っています。
 
  
ではでは。

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