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まぜるな危険!受容と対立。

昔にはなかった技術や文化、考え方って
次から次に出てくるよね。
 
 
チャットGPTとか、NFTとかいう技術もそうだし、
 
ボカロとかで音楽を楽しむのもそうだし、
 
LGBTQとか、古くはフェミニズムなんかもそうだろう。
 
 
 
で、これは完全に個人的な意見なので
 
「それってあなたの感想ですよね?」
 
と言われたらイエスオフコースなんだけれど。
 
 
自分にとっての新しい価値観が出てきた時に
 
「その価値観を受け入れるか、受け入れないか?」
 
と、
 
「それと対立し、批判し攻撃する」
 
というのは、分けて考えないとなー、と思う。
 
 
たとえば、チャットGPTという新しい技術を知った時に
それを受け入れるか、受け入れないかは
個人の自由だと思う。
 
 
また、その意見が途中で変わるのも自由だ。
 
はじめは
 
「は?インターネット?メール?ヤッホー?ぐーるぐる?」
 
と言ってても、知るうちに受け入れることもあるだろう。
 
 
 
ただ、
 
「私は受け入れない」というスタンスと、
「なので、それを批判する」は、まぜるな危険!だと思う。
 
 
 
ええやん。
 
 
「分かんないから、受け入れない。以上」で。
 
 
そこに「受け入れない批判的理由」なんて
つけなくていいんじゃね?と思う。
 
 
「今のところ分からん。理解できん。許容できん」
 
で、それでいいと思う。
 
 
「ボカロ?わからん」でいいけど、
 
「歌っていうのは、あんな機械で合成したらあかん!」
 
っていうのは、まぜてね?と思う。
 
 
 
 
で、だ。
 
 
ここからが今日言いたいことなのだが。
 
 
どちらかというと、
 
「受け入れた」
 
からの
 
「今までを批判、対立、攻撃する」
 
の方が、患い度としては、まいっちんぐだと思う。
 
 
 
チャットGPTがすぐれているからと言って、
すぐに
 
「あー、もうチャットGPTの時代だわー」
 
となるのはまだしも、
 
「今までの技術、もう駄目じゃね?」
 
っていうのは、ちょい違うように思う。
 
 
 
また、個人的には、LGBTQなどは、
 
「そういう多様性が認められるの、いいね!」
 
と思うけれど、
 
「お互いがそれでいいのであれば、
 男性と女性のペアもいいよね!」
 
と思う。
 
 
 
さらに、
 
「女性の権利が認められるの、いいね!」
 
と思うけれど、
 
「お互いがそれでいいのであれば、
 男が稼いで女性が専業主婦でもいいし、
 男に付き従う女性もアリじゃね?」
 
と思う。
 
 
フェミニズムは女性尊重であるけれど、
男性をこき下ろすものではない、という認識だ。
 
 
なので、
 
「女性のコレコレを理解して!」
 
っていうのは分かるが、
 
「だから男ってのはダメ!」
 
ってのは、マゼルーナの呪文を唱えたくなる。
 
 
(全然話が違うが、攻撃的な女性フェミニストさんの 
 一番の「敵」って、男に媚を売る女性だと思うが、
 おしりフリフリする女性は、あまり攻撃されないよね)
 
 
 
さてさて。
 
 
わかる、わかるよ。
 
 
何か、新しいことを持ち出す時に、
古いものを否定する方が分かりやすいの。
 
 
「こっちのスタンスを取るのなら、
 こっちは捨てなければならない」
 
 
っていう「ゼロサムゲーム戦略」は、
安易に取りやすい方針だ。
 
コピーライターだから、めっちゃ分かる!
 
 
 
ただ、
 
本当に女性の解放を望んでいたり、
ジェンダーに関わることに悩んできた人たちは、
 
「男性を全否定したい」
「旧来の価値観のすべてをぶち壊したい」
 
なんて思ってないんじゃないかな?と思う。
 
 
新しい技術を創った人たちも、
 
「今までの技術を完全に否定したい」
 
なんて思っているわけじゃなく、きっと
 
「今までの技術があったからこそ、新しいものが創れる」
 
と思っているように感じる。
 
 
まぜているのは、実のところ
途中参加で油を注ぐ扇動者たちなのだ。
 
 
なので。
 
 
何かしらの「革新」に触れたとき、
 
「受け入れる/受け入れない」
 
というのと、
 
「どちらの味方について対立するのか?」
 
は、まったく違う論理だな、というのを
しっかり覚えておきたいものでありんす。
 
 
 
人間関係だって、
 
「Aさんの意見を受け入れる」
 
イコール
 
「Bさんと対立する」
 
とはならない。
 
 
なりがちのシチュエーションもあるけれど、
それもまた「まぜるな危険」だ。
 
 
 
「受け入れないから、戦うコマンド」
 
でなく、
 
「受け入れないから、スルー」
 
でいいし、
 
 
「受け入れたから、今までを否定」
 
で、裏切り者の名を受けて
すべてを捨てて戦わなくていいし、
 
 
「受け入れた。温故知新」
 
でいいように思う。
 
 
 
まぁ、戦いたい人は戦えばいいかなと思うけれど、
 
「どっちか」
 
よりも
 
「どっちも」
 
の方が、広がりのある日々になると思うザンス。
 
 
 
ではでは。
 
 

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