昨日、
「AI(人工知能)が発達しても
新しい仕事ができるから大丈夫やで」
みたいな話を書いたけれど、今日は
「じゃあ、どんな未来になるんでしょうねぇ?」
といった、ひとつの方向性の話を。
あ!
あくまで「ひとつの方向性」だし、
このまんま進むかどうかは不確定なので、
「単なる個人の妄想のひとつ」
としてお楽しみください。笑。
—
さて。
基本的には、方向性として
「所有」
という概念が薄れてゆくんじゃないかな?
と思われる。
昔から「所有を切り離す」というモデルは
いくつも存在していて、
それはリースとかレンタルというビジネスを生んだ。
リースもレンタルも、
「所有者と使用者を分ける」
というところから発想されていて、
使用者は所有者に「使うためのコスト」を
支払うことで成立する。
これの別の形がローン、借金という
「お金の所有者と使用者を分ける」
という形なんだろうね。
そしてさらに別の形なのが、
一定の料金を支払えば映画を見放題になる、とか、
本や漫画が読み放題!みたいなものなのかもしれない。
ま、いずれにしても、
「所有者と使用者を分ける」
というのが、根底にある思考回路だろう。
—
それが、さらに進化を遂げつつあるのが
「シェア」
という概念なんじゃないかな?
自分で作ったもの、作品。
自分が知った知識、概念。
それは有形無形を問わずに、
どんどんと拡散されてゆく、という形。
特に、インターネットで拡散しやすい
視覚や聴覚で受け取ることのできる情報は
もはやシェアという概念が確立されているだろう。
無料でシェアされて、
人気が出てからビジネスになる、
なんて形が、もはや珍しくもなんともない。
そしておそらく、今後は
触覚、嗅覚、味覚といったダイレクトな情報や
普通のモノも、シェアされてから実利を生むスタイルが
一般化するだろう。
たとえば返品自由になっている
Amazon Fashion なんかは、
今後の物的シェア時流の実験とも言えるかもしれない。
—
「へー、じゃあ、このシェア時流が
これからの最先端なんですね」
という方向性もあるかもしれないけれど、
ワタシ個人の妄想としては、たぶん「その次」が
すでにやってきているようにも感じる。
このシェア時流も、
根底には「所有者」がいて、それを拡散している状態。
なので、まだ「先」があるような気がするし、
すでに小さなレベルでは、
私の身の回りで「先」がリアルで起こっているからだ。
じゃあ、どんな方向性なのか?
んー、あまりうまい言葉が思い浮かばないのだけれど、
イメージ的には
「持ち寄りパーティ」
が一番近い。
ほら、なんかパーティがあった時に
「1品ずつ持ち寄ってくださーい」
みたいな、アレ。
あれが、社会的に機能してゆく感じ。
ある人は、芸術的才能を持ち寄る。
別の人は、食べ物を持ち寄る。
またある人は、技術的な何かを持ち寄る。
違う人は、家具とか家を作る。
さらに違う人は、人と人とをつなげる。
そんな、個人個人が発揮できる能力を
あるコミュニティに「持ち寄って」、
その場を充実させてゆこう、という動きだ。
ほら、持ち寄りパーティって、
いざ始まったら
「おい!これは私が持ってきたんだ!!」
みたいなノリって、ないやん?
そんな人、次のパーティでは呼ばなくなるじゃない?
それと同じように、
「何かを持ち寄って、その場に入ったら
あとはその場にあるものは自由にしていい」
というのが、まぁまぁ大規模に行われるイメージ。
そこには「大きな所有者」がいるのではない。
全員が「場」に何かを投げ入れていて、
それを自由に享受できるとともに、
全員がそれが適正かを監視している状態。
その「場」の適正管理にはきっと、
ブロックチェーン技術なども大活躍するだろう。
—
でな。
「あー、なんかいいっすね。
何かを持ち寄れば、そこにあるものがタダって」
と思うかもしれないし、
それはそうなんだろうけれど、
そこには残酷な試練があったりもする。
それは、
「どの持ち寄りパーティの場に入れるかは、
その本人の持っているギフト次第」
ということ。
とてもハッピーでクオリティの高い
持ち寄りパーティもあるだろう。
でも逆に、
「え?こんなのしかないの・・・?」
という場も、これからたくさん生まれてくる。
てか、そういう「持ち寄りパーティ」の方が
数的には多くなってゆく。
じゃあ、素敵な「持ち寄りパーティ」に
参加するためには、どうすればいいのか?
もう、自分自身が価値の高い何かを
「持ち寄る」以外に、ない。
そこに参加しているメンバー
(顔を知っているとかそういう話ではなく)に
歓迎されるギフトを
「持っている自分」
になる必要がある。
自分の実力やら才能やら運やら、
何でもいいのだけれど、
「ここ素敵!」
という場に参加するためには、自分自身が
相応のギフトを用意する必要があるわけだ。
用意して、提供し続けないと、
その「パーティ」からは脱落し、
不本意な「パーティ」に引っ越さざるを得なくなることも
充分予想される。
なので、
価値を奪い合ったり、なめ合ったりする「つるむ」ではなく、
価値を提供し合ったり、さらに創造する「集う」人間になる。
そんなことが求められると思うんだよね。
—
今後いろんな階層の
「持ち寄りパーティ」が続々と生まれると思う。
(オンラインサロンなんかは
その前身になるだろうけど、
あれもまだ所有の概念を残してるよね)
お金という概念は、交換に便利なものだったけれど、
現在では、
「本来の価値に相当のコストを上乗せしないと
交換ができないツール」
になってしまった。
相当のコスト、ってのは、
難しい話じゃなくて、もちろん税金ね。
なので、今後は
「お金を仲介しない価値循環」
が求められるだろうし、
それができる技術や環境は整いつつある。
代表は、
インターネット、AI、ブロックチェーンだろう。
自分の能力やギフトに見合った
「持ち寄りパーティ」に参加し、
そこでGIVEすると、その「場」にあるものは
自由に活用できる。
そんな未来の方向性が
おそらく試行錯誤を繰り返しながら
やってくるんじゃないのかな?
なんて思うのでありんす。
—
さてさて。
いずれにしても、キーワードは
「所有からの脱却」
であることは、間違いないんじゃないかな?
ま、ひとつの妄想として
書き綴っておきまする~
妄想という前提として、
あなたはどんな「持ち寄りパーティ」に参加したい?
そしてそのために、どんなギフトを用意する?
ワタシもがんばらねばっ!!
ではでは。