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和神ライフ。

「イグさんには、メンターっているんですか?」
 
と、私のセミナーに参加してくださった方に
懇親会で質問をいただいた。
 
 
「いますよ。たくさんいます」
 
 
というのが私の答えなんだけれど、
最近、この「メンター」っていう言葉が
自分の中で違ってきているような気もする。
 
 
今までの「メンター」という響きには、
 
「自分よりも上位の、尊敬する存在」
 
「メンターが神なら、私は崇拝者」
 
みたいに捉えていたフシがあるんだけれど、
ちょっと変化がある。
 
  
 
今でも
 
「メンターは神」
 
ということに異論はない。
 
 
、、、んだけれど、その「神」は、
西洋的な「絶対神」じゃなくて、
日本の、ヤオヨロズの「神」のイメージ。
 
 
 
 
ヤオヨロズの神には、
 
「歌の神」
「絵の神」
「福の神」
「貧乏神」
 
みたいに、それぞれの役割の神がいて、
それぞれの役割を果たす。
 
そして、そのヤオヨロズの神のすべてがいて、
調和が保たれている。
 
 
 
それと同じように、私の
メンターも、私にとって「神」である。
 
 
が、
 
 
それは絶対神とかではなく、
 
「その役割においての神」、
 
という見方になっている。
 
(それは、それぞれのメンターへの敬意が下がった、
 という話ではない)
 
 
 
そして、ある役割においては、私も誰かの
「神」である。と考えている。
 
(ここだけ切り取ると、めっちゃ
 おこがましい。笑)
 
 
 
いや、大丈夫。
 
 
「新世界の神になる、ウワハハハハーーー!」
 
 
と言いながら、ノートに誰かの名前を
書きだしたりはしていないから(笑)
 
 
 
 
私のまわりには、
 
「氣功の神」
「断捨離の神」
「歌と元型心理学の神」
「編集の神」
「統計の神」
「ビジネスの神」
「肉体と健康の神」
「サポートの神」
「写真の神」
「料理の神」
「英語の神」
 
など、たくさんのメンターがいる。
 
 
もちろん、具体的なものだけじゃなくて
 
「いてくれるだけでうれしい神」
「ほっこりの神」
 
とかもいる。

 
 
それぞれの方が
ご本人の中にいくつも内包している役割の中で、
私との関係性の中でご利益(ごりやく)を
提供してくれているわけだ。
 
 
 
そして。
 
 
私も誰かとの関係性において
 
「言葉の神」
「株の神」
「気づきの神」
「癒しの神」
「ビジネスの神」
 
になったりもする。
 


 
私は、私の中に内包している、いくつかの役割を、
誰かとの関係性の中で発露するわけだ。

 
もちろん、
 
「彼は私にとって肉体と健康の神で、
 私は彼にとって言葉の神である」
 
という相互メンター、相互扶助の関係も
大いにあり得る。
 
 
 
 
さらに。
 
 
もっと言えば、誰かにとって私は
 
「貧乏神」
「疫病神」
 
かもしれないし、
 
「特にこれという特徴もない神」
 
かもしれない。
 
 
 
それぞれの関係性の中で
その人の持つ神ってる要素が
現れたり消えたりする。
 
 
それでいいし、それが自然だ。
 
 
 
 
私の世界観に、絶対神は必要ないし、
私自身も誰かの絶対神になることは、
断固として拒否する。
 
 
 
関係性と役割。
 
 
その中で、一人一人の世界の調和に寄与できればいい。
  
 
まぁ、できればネガティブな神よりも
「いてくれてよかった」と思える存在には
なりたい。
 
 
 
けれど、
 
神話の中の疫病神や貧乏神が
 
 
「あー、このまんまじゃ、オレ
 ずっと疫病神だわー。
 やっぱ、自己啓発セミナー行って、自分を変えよう」
 
 
「貧乏神のままだとアカンから、
 この ” クリックだけで億万長者 ” の商材、
 買うわー」
 
 
とか言い出さないのと同じように、
私も誰かの中で「疫病神」「貧乏神」なら、
その役割を請け負おうかな、とも思う。
 
(それが、俗にいう「嫌われる勇気」なのかもだけど)
 
 
 
さて。
 
 
今は、こちらが受け取りっぱなしで
直接はお返しできていない、本当にお世話になっている
メンターもいらっしゃる。
 
 
その方には、本当に感謝の気持ちしかないのだけれど、
その上で、
 
「私も私の役割を果たせば
 巡り巡って、調和の一助になっている」
 
とも思う。
 
 
 
おかげさまで、私のメンターには
 
「私のことを絶対神として崇拝しなければ破門!」
 
みたいな「神様」はいらっしゃらないので、
本当にありがたい。
 
 
 
で。
 
 
この記事を読んでいるあなたも、
誰かの世界の調和を保っている
 
「神」
 
なのは、間違いない。
 
 
ヤオヨロズの神の方ね。
 
 
 
あなたが、誰にとって、どんな役割なのか?
 
 
それは分からないけれど、
あなたのおかげで、あなたを知る人は
本人の現在の調和ができている。
 
 
そして、あなたが
 
 
「うーん、もう少し神っちゃいたいな」
 
とか、
 
「別の役割を担いたいな」
 
 
と思えば、あなた自身が変化すればいい。
 
役割は固定化されたものではなく、
関係性の中で変幻自在なのだから。
 
 
 
あなたは、誰にとって、どんな存在でありたいですか?
 
 
もっと、神っちゃって、いいと思うよ!
 
 
、、、ちょい抽象的だったかな?
 
 
 
ではでは。

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