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大人になると、呼吸のルールが変わる。

学校でいつのまにか植え付けられた順番とは
真逆の呼吸になっていることに
本人が気づかないと誰も教えてくれない。
 
 
親や学校に教えられてきたのは、
「吸って、吐く」の呼吸。
 
 
つまり、インプットをして、
その範囲内でアウトプットしろ、というルール。
 
学校で教えてもらった範囲を勉強し、
それを使って答案用紙を埋めて行け、という不文律。
 
 
それに慣れたままだと、大人になっても
「吸って、吐く」しかできなくなってしまう。
 
 
給料の範囲内で、働く。
インするお金を見積もりながら、
自分の労力をアウトプットする。
 
 
誰かが固めた枠内で、
自分の活動を決める。
 
 
確定した情報で、発言をジャッジする。
 
 
 
それはそれで間違ってない生き方なんだけれど、
自分が大きく成長することは難しい。
 
 
 
でも、そうじゃない呼吸もある。
 
 
誰も教えてくれないけれど、
大人になってからの呼吸は、
 
「吐いて、吸う」
 
がルール。
 
 
つまり、自分ができるアウトプットを出し切る。
その後、新しい空気がもたらされる。
 
お金になるか分からないところで
自分の精一杯の能力を発揮する。
 
 
間違えれば「酸欠」になる。
お金が、人が、必要な何かが欠乏する。
誰も責任を取ってくれない。
 
ただ、そんな酸欠状態の中、
どうすれば新しい空気を手に入れるかを
サバイバル的に覚えてゆく。
 
そして、自身の「肺」を大きくしてゆける。
 
 
 
自分の意思で吐き切る。
 
その中には、世の中的に確定していないことも
含まれてしまうだろう。
 
 
だから批判されることもあるし、
その痛みには、自分で堪える必要だってある。
 
 
それでも、誰かが用意したもの以外を手に入れるためには、
「吐いて、吸う」しかない。
「吸って、吐く」では、手に入らない。
 
 
今までの経験と勘で、思い切りアウトプットする。
入れてから出すことはできない。
満員電車のように。やさしさのように。
 
 
出しても、入ってこないかもしれない。
誰かは離れてゆくかもしれない。
 
 
でも、大いなるものを手に入れるには、
順番を逆にできない。
 
 
世の中で大成している人を思い浮かべてみれば、
たいがいはアウトプットしてから
手に入れているように思う。
 
 
確約もなく、保証もない。
 
 
そんなシチュエーションで、
「まず出す」ことができる人が
自分が真に得たいものを手に入れるんだろうね。
 
 
お金も。愛も。夢も。
 
 
やみくもにではなく、
自分軸の確証の中で「まず出す」。
 
それが誰も教えてくれない呼吸のルールなんだろうね。
 
 
いやね。必要な人がいるかな?と思い。
 
 
 
ではでは。
 
 

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