実際の成長と「成長感」は、
分けて考えた方がいい。
たぶん、私の文章に共感して読んでくれている方は、
普段から自分に対して真摯に向き合っている、
成長意欲の高い人が多いと思う。
個人的には、とてもそういう人が好きだし、
年齢を問わずに意欲的な方は素晴らしいと思う。
その上で「気をつけないといけないなぁ」と思うのが
“実際の成長”と、“成長感”の違い。
本を読んだり、セミナーに出たり、
色んなところで学んで、
「ああ、素晴らしかった」
と思う気持ちは大切だ。
だが、それは実際の成長とは
ちょっと違う気がする。
実際の成長とは、
今まで持ち上げられなかったものが
持ち上げられるようになったり、
今まで解けなかった現実の問題が
解決できるようになったり、
人間関係を改善できるようになったり、
今までとは別のあり方を手にして、
現実世界にまで影響が及んだり、
という事だと思う。
現実世界で、出来なかったことが
出来るようになった。
もしくは、
考え方の幅が広くなり、
実際の行動にもプラスの変化が起きた。
ということが「成長」だと思う。
本を読んだり、セミナーに参加したり、
誰かから話を聞いて、
「ああ、いい気づきを得た」
「今日も学んだ」
という満足感は得たものの、
今まで持ち上げられていたもの以上のものは
持ち上げられず、
今まで解けなかった問題は
依然として解けず、
人間関係にも変化は現れず、
別のあり方を得たと思っていても、
現実世界にまでは変化は訪れない
ということであれば、それは
「成長感」にすぎない。
アクション映画を見たあと、
自分がアクション映画のヒーローのように
強くなった気がしていたり、
感動のドキュメンタリー番組を見て、
自分も素晴らしいことをしている善人だと
勘違いするのと、基本的には変わらない。
もちろん、
「私は、実際の成長ではなく、
成長感を大事にしているんです」
「実際に成長しているかどうかは関係なく、
成長しているという感情が手に入れば
それで満足なんです」
という場合は、それで全然構わないと思う。
ただ、実際に現実を変えたいと思っているのであれば、
「成長感」は、むしろ害にすらなる。
実際の成長は、
どちらかというとスガスガしいものでない
場合も多い。
「なんで、こんなに大変なことを
やっているんだろう?」
「なんで、私ばっかり、こんな苦労してるの?」
と、渦中ではヒーヒー言いながら
もがいて、歯を食いしばって頑張る。
そして、渦中から抜け出した時に、
振り返ってみたら、今までの自分とは違う自分に
成長している事に気がつく。
筋トレでも、頭脳的なことでも、
人間関係でも、自分のあり方でも、
苦痛をともなうことの方が多い気がするんだけれど
どう思うだろう?
実際は、現実の中で「成長感」も感じていないと
やってられない、というのも正直なところなので
「成長感」を否定するつもりはない。
でも、本当に現実を変化させたいのであれば、
「これは、本当の成長なのか?
それとも単に“成長感”を欲しがっているだけなのか?」
と、自分で自分を疑ってみる側面も
あってもいいかもしれないね。
え?私はどうなのかって?
たぶん、これを読んでいる誰よりも
「成長感だけで満足している人間」
だと思うよ(笑)
気をつけねば!
ではでは。