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寂しさを定義してみる

夜に一人ぼっちで過ごしていたり、
 
友達と遊ぼうと思っても、
誰ともスケジュールが合わなかったり、
 
恋人と会えなかったり、そもそもいなかったりと、
 
寂しさを感じる時って、あるよね。
 
 
 
この、なんともいえない感情は、
一体どこからくるのかなぁ、と
ふと考えてみたんだよね。
 
(ちなみに、今の私がすっごく寂しいとか
 そんなわけじゃないので、心配しないでね(笑))
 
 
 
 
 
 
いろんな考え方があると思うけれど、
 
寂しさとは、
 
 
 
「今よりも愛のある世界を知っている人が
 現状にフォーカスしている状態」
 
 
 
と、言えるんじゃないかなぁ、と。
 
 
 
 
過去、もしくはイメージにおいて、
 
・今よりもっと温かい人たちに囲まれていたり、
 
・今より感謝できる状態だったり、
 
・今よりいい人間関係をもっていたり、
 
ということを「体験」していないと、
なかなか「寂しさ」という感情は生まれにくい。
 
 
 
 
 
(こんなことはあり得ないが)
 
生まれた時からずっと一人で、
完全に情報が遮断された世界で生きている人がいたら、
たぶん、きっと「寂しさ」は、感じない。
 
 
 
そして、フォーカスしているのも、
「自分視点」で「現状」を見ている時に限って
寂しさは感じるもののような気がする。
 
 
自分以外の人のためを思って行動していたり、
現状ではない未来に向けて思いをはせていたりする時には、
なかなか「寂しさ」を感じにくいと思うんだよね。
 
 
 
 
 
「じゃあ、寂しさを感じるのは、すごいエゴってこと?」
 
「そんな理屈じゃなくて、寂しいものは寂しいじゃない!?」
 
 
という反論が来そうだけど、今回言いたいことは
 
「寂しさはエゴだよ」
 
ということこでもなく、
 
「寂しさは理屈で考えると、こうだよ」
 
ということでもない。
 
 
 
 
今回伝えたいのは、別のこと。
 
 
 
 
 
寂しさとは別の話として、
 
「イメージできるものは、実現する」
 
というような話は、どっかで聞いたことがあるだろう?
 
 
 
ちょっと流行った「引き寄せの法則」を持ち出すまでもなく、
詳細にイメージできるものは、具現化する。
 
 
人類は、詳細にイメージできるものは
なんでも手に入れてきた。
 
 
空を飛ぶこともできるようになったし、
 
宇宙もいけるようになった。
 
何十階建のビルも作ってきたし、
 
世界中の人と電話で話せるようにもなった。
 
 
 
これは、人類レベルに話を広げなくても
個人レベルでもそうだろう。
 
 
あなたも、詳細にイメージしたもので
何かしらを手に入れているものは、あるはずだ。
 
 
少なくとも、今のあなたの生活の中で、
良い面、気に行っている面は、
何らかの形で「イメージ」したから手に入れている。
 
 
「この家に住んでいる自分」
をイメージしたから、あなたは今、そこに住んでいる。
 
 
「アレが食べたいなぁ」
とイメージして、食べられたものも
今までにはあっただろう。
 
 
あなたが来ている服も、あなたが
「この服を着ている自分」をイメージ出来たから
買って、いま着ているものばかりだ。
 
 
 
 
「イメージできるものは、実現する」。
 
 
 
 
だとしたら。
 
 
 
 
あなたが今、もし寂しさを感じているのであっても、
心配しなくていい。
 
 
寂しさは、
 
 
「今よりも愛のある世界を知っている人が
 現状にフォーカスしている状態」
 
 
である。
 
 
 
あなたは、今よりも愛のある世界を知っている。
 
 
 
愛のある世界を知っているということは、
その世界を詳細にイメージできるということだ。
 
 
 
そして、
 
「イメージできるものは、実現する」
 
 
のであるから、
 
あなたがずっと寂しい状態であるはずがない。
 
 
 
寂しさを感じている時は、
同時に愛のある世界をイメージ出来ているわけだから、
 
あなたが、今よりもっと愛のある世界に
招きいれられるのは、時間の問題だ。
 
 
 
 
あなたが、たとえ寂しさのドン底で
打ちひしがれていたとしても。
 
 
その寂しさが強烈であればあるほど、
 
大きな愛の世界を引き寄せている事を
忘れないでいてね。
 
 
 
ではでは。
 

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