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強さとは?そして才能とは?

先日、友人と話していると、
 
「イグゼロさんって、僕が知っている限りでも
 いろんな人の相談とかグチとか聞いてるみたいですが
 イヤになったり、疲れたりしないんですか?」
 
と聞かれたんだよね。
 
 
言われてみて、たしかに
 
「あー。そう言えば、イヤになったり疲れたりしないなぁ」
 
と思ったんだけれど、
言われるまで意識すらしなかったんだよね(笑)
 
 
 
で、
 
そんな質問をしてきた当人は何をしているのか?と言うと、
日本と海外を結ぶ「かけ橋」になり、日夜がんばっている。
 
 
私からすれば、そっちの方が
 
「イヤになったり、疲れたりしないんかい?」
 
と聞きたくなるような、途方もなく長期的な活動だ。
 
 
 
また他の友人では、とあるイベントを手伝うために
はるばる東京から名古屋まで行って
ボランティアで活動している人もいるし、
 
とある島に住んでいるネコ達のために
何年もボランティアで活動している人もいる。
 
 
私からすれば、みんなに言いたくなる。
 
「なんでそんな献身的な事を続けられるの?」
 
ってね。
 
 
でも本人たちは、いたって普通に
 
「ああ、そう言われてみればそうかもしれないね」
 
「今まで、そんな風に考えもしなかったわ」
 
と、さらりと返してくる。
 
 
 
さらに、別の例では、
 
「それ、とんでもなく集中力のいることだよね?」
 
と思われる技術を持っている人たちがいる。
 
 
ウェブのデザインだったり、
 
楽器の演奏だったり、
  
とてつもなく繊細な料理を作ったり。
 
 
それぞれが、本当に舌を巻くほど
素晴らしい成果を出してゆくプロフェッショナルだ。
 
 
そして、そんな人たちが
 
「イグゼロさん、文章を書くっていうの、
 とんでもない集中力だわ」
 
とか、
 
「もうダメ、もう文章書けない。まかせた」
 
なんて言ってくる場合もある。
 
 
 
 
こんな風に様々なシーンを見ていると、
人の「強さ」というのに、普段とは違う見解も
持つようになってくる。
 
 
「ああ、強さって、慣れだわ」
 
みたいな感じ。
 
 
 
たとえば、火事の中
飛び込んでゆく消防士の方々は、強い。
 
 
たとえば、もうクタクタなのに
走り続けられるランナーは、強い。
 
 
たとえば、何百人もの聴衆の前で
話が出来る人は、強い。 
 
 
その素晴らしい強さに敬意を払いつつも、
ある側面においては、
 
「慣れているから、できる」
 
みたいな見方もできるかもしれない。
 
 
 
今までに、同じような窮地に陥ったり、
同じような体験をしたことがある。
 
だからこそ、他の人からは想像を絶するようなことでも
眉ひとつ動かさずに出来たりする、
という部分も、あるかもしれない。
 
 
また、他の人には到底できないようなクォリティで、
かつ長時間 集中力を途切れさせずに
作業を継続できるのは、すさまじく強い。
 
 
それも、
 
「その作業に慣れている」
 
「同じようなことを、今までもやってきた」
 
という事実に裏打ちされている部分も
多いにあると思うんだけれど、どうだろう?
 
 
 
私からすれば、
 
「文章は、キーボード押せば書ける」
 
みたいに思っている部分もあるので、
ウェブデザインとか演奏とか料理とかの方が
すさまじくパワフルなようにも思ってしまう。
 
(いや、だからと言って文章を
 バカにしているワケじゃないよ)
 
 
ただそれは、個人的に文章を書くことに
慣れているからだろうし、他の人から見たら
 
「おお!ブラボー!」
 
と思ってくれている人も、いるのかもしれない。
ありがたいことだよね。
 
 
 
 
そして。
 
 
「強さとは、慣れである」
 
という極論を、さらに突き詰めて考えてゆくと、
 
 
「才能とは、慣れるまで継続できるジャンルである」
 
なんてことも言えるかもしれないな、
と思ったんだよね。
 
 
 
もちろん、世界トップクラスの才能は
少し違うかもしれない。
 
 
でも、基本的には、他の人が
 
 
「あー、もー、ヤダっ!!!」
 
「飽きたー、飽きたわー!」
 
 
と投げ出してしまうようなところで、
 
 
「え?そう?面白いじゃない?」
 
「え?飽きるの?コレ?」
 
 
と、ずっと継続できることこそが
その本人の持っている「才能」なんじゃないかな?
 
なんて風にも思う。
 
 
そして、もう完全に「慣れた」と言えるレベルになっても、
飽きもせずに、さらなるレベルアップに
興味を持ち続けられること、もの。
 
 
それがもう「才能」の一番の核なんじゃない?
と思うんだけれど、あなたはどう思う?
 
 
 
さてさて。
 
 
強さとは慣れで、
才能とは、強さを発揮できるようになっても
自然に興味を持ち続けられることである。
 
 
さすがに「定義」とまでは行かないけれど、
そんな風に言える側面もあるかな?と思う。
 
 
 
そして。
 
 
あなたがもし誰かに
 
「よく飽きないね」
 
とか、
 
「イヤにならないの?」
 
と言われることがあるのだとしたら、
あなたにとってそれがどんなに普通の事であったとしても、
 
それはあなたの「才能」と言い切っちゃって良いものだと思う。
 
 
 
自分の才能は、自分では気がつきにくい。
 
 
もしかしたら、あなたが
 
「これって普通でしょ?」
 
「え?そんな事が?」
 
みたいに思っていることそのものが
ダイヤモンドなみの価値と可能性を持っているかもしれないよね。
 
 
あなたが、最高の才能を発揮できることを願って。
 
 
ではでは。
 

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