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理解されないから、あなたでいられる。

「なんで、あの人は分かってくれないの?」
 
「どうして理解されないんだろう?
 こんなに素晴らしいのに」
 
「世の中、やんなっちゃう」
 
 
そんな風に思っちゃうことって、あるよね?
 
自分が一生懸命頑張っているのに、
その頑張りが空回りすると言うか、
 
自分の本気度に比べて、
まわりの反応がイマイチだったりとか。
 
 
そんな時は、どうしても理解されないことに
寂しさを感じたり、ヤキモキすることが
誰だってあると思う。
 
もちろん私なんか、そんなことばっかりだ。
 
 
でもね。
 
最近ふと、こんな風にも考えてみたんだよね。
 
「ああ、理解してくれない人がいるから、
 自分の存在価値があるのかもしれない」
 
 
どういうことか?というと。
 
たとえば、今私はセミナー講師とかもしているけれど
セミナー講師が講師でいられるのは、
 
「私が素晴らしいと思っている事を
 まだ体験していない人がいる」
 
からだよね?
 
もっとおこがましい言い方をすれば、
 
「私が知っている事を知らない人がいる」
 
「私が見ている世界観を見ていない人がいる」
 
から、講師としては成り立つわけだ。
 
 
私が理解している事で、他のみんなも理解している事には
誰も価値を感じない。
 
もし私が、
 
「日本人の大人の方を対象に、
 ひらがな50音を教えます。
 セミナー参加料1万円!」
 
と開催しても、誰も集まらない。
(ウラがあると期待してくるなら別だけどね)
 
 
すでに知っている、理解していることには
誰も時間もお金もかけることはない。
つまり、価値を感じない。
 
そうだよね?
 
 
これはひらがな50音だけの話じゃない。
 
パソコンのブラインドタッチが出来る人もいれば
出来ない人もいる。
 
出来ない人は、ブラインドタッチに価値を感じるけれど、
出来る人にとっては、それ以上の価値を
提供しなければならない。
 
 
ゴルフが上手い人もいれば、そうでない人もいる。
 
そうでない人がいるから、
ゴルフのコーチという職業が成立する。
 
 
日々の家事をテキパキこなしている人もいるし、
まったくやらない人もいる。
 
「まったく!家事の大変さを分かってくれないんだから!」
 
とボヤきたくもなるけれど、
すべての人が家事のプロフェッショナルになると、
それ以上のなにかをやらないと、価値は認めてもらえなくなる。
 
 
ね?そうじゃない?
 
 
理解してくれない人がいるから、
そこに価値が生まれる。
 
全員が共有していて、当たり前のものになっていたら、
そこに価値は認識されない。
 
 
価値が認識されるためには、
さらに質を上げるか、
軸をずらすか、
あるいは別のターゲットを探すか。
 
いずれにしても、
 
「まだ理解されていない場所に行く」
 
ということをやらなければならない。
 
 
ってことは、価値を生み出すってことは
 
「自分のことを理解してくれていない人探し」
 
っていう風に言えなくもない。
 
 
 
さてさて。
 
あなたの中で大切にしているもので、
 
「理解されてない!!」
 
と、日々ストレスになっちゃっているものは
一体なんだろう?
 
 
もしかしたらそれは、
まだ理解していない人に贈ることのできる
最大のギフトにもなり得るかもしれない。
 
 
一見したら、
 
「えー、わたしにとっては大切だけれど
 こんなことに価値を感じる人なんていないわ」
 
と思ってしまうものかもしれない。
 
 
でも、考えてみて?
 
今まで書いて来た通り、
「当たり前」になっているものに
人は価値を感じにくい。
 
 
でもその「当たり前」は、
あなたの当たり前であって、
他の人には違うかもしれない。
 
少なくとも、あなたのことを
理解してくれない人がいるのならば、
それが「価値」になる可能性は、充分ある。
 
 
 
「理解されていない!!」
 
ということを、ちょっと別の視点から、
見てみるのも面白いかもしれないよね。
 
誰かにとって、それはきっと価値になることだから。
 
 
・・・と、書きつつ、私なんかは日々
 
「ムキー!分かってもらえないよー!!」
 
とザワザワしている小者なんだけれどね(笑)
 
 
ではでは。
 

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