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「好き!」の階層。

あたりまえすぎる話だけれど、
誰でも自分の好きなものっていうのがあるよね?
 
 
たとえば、
 
 
ファッションが好き!
 
お酒が好き!
 
音楽が好き!
 
映画が好き!
 
写真が好き!
 
スポーツが好き!
 
歌舞伎が好き!
 
ビジネスが好き!
 
タバコが好き!
 
エロいこと好き!
 
国際問題が好き!
 
本が好き!
 
 
などなどなどなど。。。
 
 
 
そして、人との出会いの多くは、
自分がアンテナを立てている
 
「好き!」
 
「興味あり!」
 
の方向で惹きあって出会うものだ。
 
 
それが仕事であったとしても、
自分が好きだったり、必要に迫られたりして
数ある職業の中から選んだわけだから、
アンテナは立っていた、ということになる。
 
 
 
 
で、
 
 
その「好き!」を共有している者同士なわけだから
好きなジャンルに関しては仲良くできるのが普通。
 
 
 
。。。と、思いきや、
 
 
そうは問屋がおろさないのが人間関係の面白いところ(笑)
 
 
 
「好き!」には階層があって、1つの階層の奥に行くと、
さらに分岐が広がる、という宿命がある。
 
 
 
たとえば。
 
 
 
「料理好きー!」
 
なんていうみんなが集まったとする。
 
 
すると、
 
 
「料理好き、と言ったら料理作るの好きなんでしょ?」
 
 
「いや、なに言ってるの?
 料理好きと言ったら、食べる事に決まってるやん」
 
 
みたいに分かれるし、
 
 
「食べるの好きー!」
 
 
と階層が奥になっても、
 
 
「和食でしょ?」
 
「イタリアンでしょ?」
 
「中華でしょ?」
 
 
みたいになり、
 
 
「イタリアン好きー!」
 
 
でも、
 
「やっぱパスタだよね」
 
「ピザでしょ!?」
 
「イタリア料理バカにしてるの?子羊でしょ!!」
 
なんて、また分かれて、さらにさらに
 
 
 
「ピザ好きー!」
 
 
「やっぱクリスピーだよね!?」
 
「はぁ?もっちりタイプじゃないと!!」
 
 
 
 
「クリスピーピザ好きー!」
 
 
「薄力粉の配合は。。。。」
 
 
と、延々と論争は続くわけだ。
 
 
 
 
まぁ、その論争を楽しんでいるうちは良いんだけれど、
そうじゃなくて、
 
 
「お前の考えは、間違ってる!!!」
 
 
「そんな人だとは思わなかった!」
 
 
「仕事を一緒にやっていけない!」
 
 
「もう絶交だ!」
 
 
「お別れの時がやってきましたね。。。」
 
 
みたいになるのは、本当に悲しいことになる。
 
 
 
 
 
なので。
 
 
好きなものをトコトンこだわる、
という姿勢は素晴らしいと思う上で、
 
 
同時に
 
 
「好き!」の階層を、いつもより浅くしてみる。
 
 
という柔軟性も、あっていいんじゃないかな?
なんて思う。
 
 
 
 
日本酒もワインも、同じお酒だ。
 
 
クラシックもヘビメタも、同じ音楽好きだ。
 
 
劇団四季も歌舞伎も、同じエンターテイメントだ。
 
 
フィルムでもデジタルでも、同じカメラだ。
 
 
きのこもたけのこも、同じ明治だ。
 
 
 
自分と誰かが出会っている、ということは、
必ず何かで、同じ「好き!」を共有している。
 
 
「好き!」の階層を上げて、
俯瞰して、抽象度を上げて行けば、必ず 
 
 
「ああ、同志じゃないか」
 
 
となる。
 
 
 
出会っている限りは、必ずその着地点がみつかる。
 
 
 
誰かにイラッとしたり、
 
「なんであんな人なんだろう?」
 
と思った時は、ちょっと深呼吸してから
 
 
「好き!」の階層を見直してみると、実は
 
 
同じ「好き!」を選んでいる者同士だということに
気がついたりもするよね?
 
 
 
「好き!」の階層の奥へ行ったり、浅くしたりと
自由自在に行き来して、
 
 
「 I’m O.K , You are O.K 」
 
 
みたいに、いつも思える人間でありたいものですわ。
 
 
ではでは。

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