ふと気づいたのだけれど、
日本の昔話って、
「昔々、あるところに
おじいさんとおばあさんが住んでおりました…」
と始まるやん?
…が、その老人たちが物語の主役か?というと
そうでもないことも多い。
おじいさんが竹を割ったり、
おばあさんが桃を拾ってきたりする。
そこから、かぐや姫なり桃太郎が出てきて、
なんか育てたら、最終的に
じいさんばあさん、お宝ゲットだぜ!的な?
で、じいさんばあさんは何を主体的にやったか?
というと、そこまで大したことはやってない(スミマセン)。
他にもドラえもんとかも、
のび太が主人公と言えば主人公なのだけれど、
活躍するのはドラえもんで、
のび太は主体的な行動って、そこまでしない。
水戸黄門とか、暴れん坊将軍とかは
主役はそれぞれタイトルになっている人たちだけれど、
ドラマを見ている人は、どちらかというと
「困っている民衆」
に、自分を重ね合わせるのではないだろうか?
「あー!俺も将来、ちりめん問屋と偽って
日本中を徘徊してぇー!!」
「印籠、出してぇー!」
「海岸を意味もなく馬で走りてぇー!」
とか、あんまり思わずに、
「黄門様、ありがとうございますー」
「お奉行さま、ありがとごせぇますだー」
と、悪い商人とかをやっつけてくれた「超人」に感謝し、
スカッとする、みたいな構図である気がする。
もちろん、他にもたくさんの物語バラエティがあるので
一概には言えないのだけれど、
この「型」が、たとえばハリウッドとかインド映画とかにあるか?
というと、無いような気がする。
なので、
「才能や地位にも恵まれない
どちらかと言えば社会的弱者が、
何者かによって助けられる話」
というのが、少なくとも日本ではある程度の
「型」として定着している。
桃太郎、かぐや姫、ドラえもん、水戸黄門、暴れん坊将軍…
この「型」は、けっこう日本独自なモノのように思う。
対して、
たとえば西洋のおとぎ話とかで
「Once upon a time…」とか
「Long long time ago…」とかで始まると、
たいていは、うら若き美女やお姫様、
あるいは後々才能を開花させてゆく若い男子が
物語の初っ端から登場する。
シンデレラ、白雪姫、眠れる森の美女。
スターウォーズのルーク、魔法のランプのアラジン
ハリーポッターなど。
で、障害となる敵役が登場して
それらを撃破してハッピーエンド!みたいな流れだ。
もちろん、例外はたくさんある。
ルパン三世とかは主体的に物語を生きていくし。
で。
これって、なんでなんやろなー、と思ったのだが。
やっぱ日本が、島国の農耕民族だということが
けっこう影響しているんじゃないかなー
なんて思う次第。
もちろん日本にも戦争はあったが、
普通に生きている人たちからすると、
日常的に恐ろしいのは台風や地震などの「天災」。
で、この天災ってぇのは、
対抗手段というのが、あまりない。
どんなに用意をしていても、それ以上の天災がくるかもだし、
その用意はすべて無駄になる可能性もある。
天災なのだから、威嚇にもならない。
なので、最前の準備をした後は、
「来ないように祈る」
↓
「来たら、去るまでじっとしている」
↓
「去ったら、黙々と復興させる」
というのがDNAに刷り込まれているんじゃないのかな?
だから、日本の物語は、、、というか
日本だけで許される物語の型の中に
「脅威が来たら、とにかく我慢。
もし助けてくれるヒーローが現れたらラッキー」
みたいな「天災史観的なストーリー」があるように思う。
(異論は認めまくる)
そう考えると、『風の谷のナウシカ』なんかは、モロそうだよね。
自然と共生しようとする方が「善」と描かれて、
自然をコントロールしようとする方が「悪」と描かれる。
それに対して。
西洋(で喜ばれやすい)物語は、
「自力で何とかやってゆく」
というものだろう。
その背景には、狩猟民族であり、
国境をまたいでくる侵略と、その防御の歴史が
色濃いんじゃあないのかな?
狩猟は、運と、主体的な行動と、
強いリーダーが成功の鍵。
農耕の、協調性と、代々の智慧と、
天災が左右するものとはだいぶ違うように思う。
(両方とも素人なので間違えていたらスミマセン)
そして、他国からの侵略は、完全に「人災」。
どうやって撃退するかは、能力と技術がメインで決まる。
また、相手が人なので、天災と違って
「威嚇」も効果を持つ。
だからこそ、
「自分で何とかする人」
「若くて才能や生まれつきの美貌を活かす人」
が物語の中心に据えられ、
ストーリーを見ている人も、その中心人物に
自分を重ね合わせる。
なぜなら、社会が「そう」生きるのを求めているし、
DNAに刻まれているから。
さてさて。
まぁ、ちょい乱暴な説だったけれど、
多少は言える部分があるんじゃないかなーと。
日本人にとって脅威は、「自然」。
人の力ではどうすることもできないし、
どうにかできる存在は、待っているしかない。
それに対して、
主に西洋の方々にとっての脅威は「人」。
だから自分たちが強ければ撃退、勝利できるし、
人の力で自然すらもコントロールできるようになる。
そんな天災史観/人災史観があるのかなー、と。
今まで脈々と受け継がれてきたことが物語となり、
それがさらにDNAを強固にしてゆく。
そんなこともあるのかもしれないね。
たぶん、物語だけじゃなく
他のことでも、この世界観の違いは
出ているのかもしれないね。
どちらが良い悪いではなく。
ではでは。