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欲望との主従関係。

今年に入ってから、
「もっと勉強しないとアカンわ」
と思い立ち、お勉強熱が上がっている。
 
 
その中で現時点の私の中で
最もアツいテーマが【欲望】。
 
そして、人間の欲望を知るためのカギが
細胞の中にある「ミトコンドリア」だと
いうことを知った。
 
 

 
 
人間の身体は、約60兆個の細胞でできていて
その細胞のひとつひとつに、
約100個から3000個の
「ミトコンドリア」が存在している。
 
 
ひとつのミトコンドリア自体は
太さ0.001mmしかない極めて小さな器官。
 
 
だけれど、その膨大な数により
体重の1割を占めるほどになっているそうだ。
 
つまり、体重60kgの人は
約6kgのミトコンドリアが体内にいるっていうワケ。
 
 
 
ミトコンドリアは私たちの体内で
「エネルギー生産工場」として活動し、
健康のカギを握っている。
 
ミトコンドリアの体積を増やせば
持久力や体力が増強されるし
ダイエットの味方にもなってくれる。
 
老化やがんをひきおこす活性酸素も
源はミトコンドリアにある。
 
ミトコンドリアが健全で元気な状態であれば
宿主である我々も元気な状態でいられる。
 
ミトコンドリアさんのおかげで、
我々は元気になれているわけだ。
 
 

 
 
なので基本的に
「ありがとうミトコンドリアさん」なんだけれど。
 
 
体重の1割も占めるミトコンドリアさんは、
1つ1つに考える力があるわけではなく、
極めてシンプルなプログラムによって働いている。
 
 
ただ残念なのは、そのプログラムは現代人にとって
常に益をもたらしてくれるとは言い難いことだ。
 
 
そのプログラムとは。
 
自分を生き続けさせ、種を増殖させるために、
3つのFに従って行動を集中させようとするもの。
 
 
3つのFとは、すなわち
 
・恐怖(Fear)
・食べる(Feed)
・種の維持(察しろや)
 
になる。
 
 
人間が、権力やお金、そして魅力を
手に入れたいと思うのは、
すべてこのミトコンドリアからの
「指示」によるものだ。
 
 
 
権力があれば(あるいは権力のそばにいられたら)
恐怖に脅かされる頻度は低くなる。
 
お金があれば、食べ物を手に入れることができるし、
生命維持の快適さを増すことができる。
 
魅力も、根源の根源は
生殖のパートナーを引き寄せるため、となる。
 
 
何か脅威があった時に
戦ったり、逃げたり、隠れたりするのは恐怖から。
 
「あると食べちゃう」というのも、
魅力的な異性に惹かれるのも、すべて
体重の1割を占めるミトコンドリアさんの
集合的な「命令」によるもの。
 
 
生き残り、
危険の頻度を少なくし、
種を増やせる可能性を高める。
それを「快」と感じさせ、
 
恐怖にさらされ、
食べ物を得られず、
「行為」ができない。
それを「不快」と感じさせている。
 
 
それらはすべてミトコンドリアさんのしわざなのだ。
(異論はあるだろうけれど)。
 
つまりは、偉そうに言っていても
しょせんは人間サマも動物なのね、ってこと。
 
 

 
 
。。。。なんだけれど。
 
 
私たち人間は、そのミトコンドリアさんとの
つき合いを、選ぶことができる。
 
 
二者択一。
 
1つは、ミトコンドリアの奴隷になること。
もう1つは、ミトコンドリアを使役する側に回ること。
 
 
 
自分の中にいる膨大なミトコンドリアと
人間である自分自身の
 
「主従関係」
 
を、どう位置づけるのか?
どう位置づけようとするのか?
 
 
それによって、人生はまるで変わってくるわけだ。
 
 
 
ミトコンドリアに支配されて、
怒り、恐怖し、食べ、エロに走り、
権力に魅了され、お金にひざまずくのか?
 
 
それとも、ミトコンドリアの暴走を
「わかったわかった」となだめながら、
「大丈夫だよ」と説得し、
「また発散させてやるから」と、
自分の決めたタイミングで「快という褒美」を
とらせるのか?
 
 
 
私たちは、どちらを選ぶこともできる。
 
 
 
もちろん、膨大なミトコンドリアを
いつも完璧に使役するためには、大いなる意志や
それを完遂させるための環境が必要になる。
 
 
ただ、「欲の暴走」「ミトコンドリアの正当化」
だけで走るのが、本当にいいのか?
 
それは、本人が決めるしかないのだろうけれど。
 
 

 
 
さてさて。
 
 
今回の話は、私自身が
まだまだ全然できていないことだし、
これから一生かけて探究してゆくテーマだ。
 
 
その上で、できる限り
自分の「欲」に支配されず、
欲をうまく乗りこなしてゆける人には
近づいていきたいな、とは思う。
 
 
無欲になることを目指すのではなく、
大きな欲望を持ちながら、おぼれない。
 
そんな人が、美しいなぁ、と思う。
 
 
 
「わたくし、無欲ですのん」
 
という人には、私自身は、あまり魅力を感じない。
 
 
「わたし、もう悟りました」
 
という人は、へーそうなんだ、と思う。
 
 
そしてそれ以上に、欲の奴隷となって
他の人も「ミトコンドリアの奴隷」にけしかけるような人は
あまり美しいとは思えない。
(自分もやっているかもだけれど)
 
 
 
そんな中、「欲」をあらためて学び、
 
 
「なんでか分からないけれど、
 どうもこの発信は好みではない」
 
 
というものの正体は、
 
「私は自分の欲を正当化しました」
 
というものが多いことに気付いた。
 
 
多くの発信、多くのビジネスの中には、
 
「楽になるよ」
 
「儲かるよ」
 
「思考しないでよくなるよ」
 
「都合よくなるよ」
 
「否定されなくなるよ」
 
というものがある。
 
 
 
それはそれで別に悪いわけじゃないけれど、
それがあからさまに
 
「発信者の欲の正当化」で、
「他者を同様に欲の奴隷にけしかけるもの」は、
 
あまり好みでないことが分かった。
 
 
 
そこで使われるツールが、
 
「ありのままでいい」だろうが、
「子宮がどうだ」だろうが、
「男性性女性性」だろうが、
「スピリチュアル」だろうが、
「集客、ビジネス」だろうが、
「投資、お金」だろうが、
「自己啓発」だろうが、
 
それで良い悪いが問われることではない。
 
 
発信者自身が、欲の奴隷なのか?
そうではなく、欲の正しき為政者たらんとしている人なのか?
 
そこによってメッセージは変わってくるなぁ、
と思う次第。
 
 
 
また、
 
「高圧的な人」
「迷惑をかけても平気でいる人」
「人の気持ちが分からない人」
「どなっている人」
「お金ばかり追いかけている人」
「わがままな人」
「自称、自由な人」
「承認欲求のかたまりの人」
「異性への敬意がない人」
「感謝感謝と言いつつ、薄っぺらい人」
「批判が多い人」
 
などなどは、もしかしたら、
ミトコンドリアの奴隷である自分を正当化している人
なのかもしれないなぁ、と。
 
 
 
そして、さらに言えば、
権力者、あなたの上司、友人、パートナー、家族。
 
それらの人は、
「あなたを3つのFで支配しようとする人なのか?」
 
それとも人間として付き合おうとしているのか?
 
それによっても、
人生の果実は大きな違いをもたらすのだろうね。
 
 
 
、、、ま、今回は自分のことを
棚に上げまくりなんだけれど。
 
「欲」というものの正体をさらに勉強しつつ、
少しでもマシな人になれたらなぁ、と思いまする。
 
 
 
、、、ってなワケで、じゃあ書き終わったので
ワタシはポテトチップ食べまくります。笑。
 
 
ではでは。
 
 

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