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夢で会いました

昨晩、寝ている時の夢の中に、
学生時代の知り合いが登場した。
 
 
知り合いと言っても、
本当に何回か顔を合わせた程度の、
軽い付き合いしかしていなかった人だ。
 
 
あなたにも、何人かそういう人っていると思う。
 
 
会えば、会釈するくらいの付き合い。
 
顔写真を見て、
「○○の時に一緒だった人だよ」
と言われて、初めて思い出すような人。
 
 
そんな人が、夢の中に登場したんだよね。
 
 
 
学生時代のシチュエーションだったのもあり、
なんとなく懐かしい気持ちで目覚めたと同時に、
 
「無意識の記憶力って、すげー!!」
 
と、思い直してしまった。
 
 
 
 
たくさんの時間を過ごした人だったり、
強烈な思い出がある人の事を覚えているのはもちろん、
 
ちょっとした知り合い程度の人の顔なんかも
覚えているんだもんね。
 
 
 
もしかしたら、夢の中で
 
「あの人は、いったい誰だったんだろう?」
 
なんて思うような人や場所も、
もしかしたら、ふとすれ違った人だったり
するのかもしれないよね。
 
 
 
 
そこから、妄想を広げてみた。
 
 
 
人だけじゃなくて、他のものも、
普段忘れているってこと、あるんだろうなー、って。
 
 
 
 
むかし遊んだおもちゃ。
 
むかし読んだ本。
 
むかし見た映画やテレビ。
 
むかし行った場所。
 
むかし見た景色。
 
むかし交わした言葉。
 
むかし嬉しかったこと。
 
むかし汗を流したこと。
 
むかし吸った空気。
 
むかしワクワクしたこと。
 
 
 
一瞬一瞬が積み重なって、今となり、
その積み重なりが、自分を作っている。
 
 
 
普段、忘れてしまっているようなことも含めて、
たぶん、自分を作るためには必要だったんだろう。
 
 
人も、ものも、過ごした時間も。
 
 
 
よく、
 
「感謝しましょう」
 
なんて標語を目にするけれど、
 
そうやって面と向かって言われると、
アマノジャクな私は、
 
「感謝なんて、言われてやるもんじゃないわ!」
 
なんて思ってしまう。
 
 
 
でも、
 
むかし軽く出会った人とか
むかし遊んだおもちゃとかを思い出して、
 
なんとなくじんわりする。
 
 
この、自然とわきあがる感覚って、
 
実は「感謝」に一番近いんじゃないかな?
 
なんて思ったりもする。
 
 
 
もし私がおもちゃだったら、
 
「昔、遊んでいたなぁ」
 
と思いだしてくれるだけでも、嬉しい。
 
 
 
「ありがとう」と、人に伝えるだけが
感謝じゃない。
 
 
 
じんわりと思い出す。
 
 
 
そんな時が、ちょっとあってもいいよね。
 
ではでは。

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