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本物とニセモノの差。

「イグさん、
 本物の見分け方って、どうすればいいんですか?」
 
 
という質問を、とある方からいただいた。
 
 
唐突な質問だなー、とも思ったんだけれど、
 
あらためて考えてみれば、
「本物」って、なんだか分かっているようで
分かっていない気もする。
 
 
 
そりゃ、誰だって本物とニセモノだったら、
本物の方を選ぶだろうし、
 
できることなら、自分自身が
 
 
「あなたって、本物だね」
 
 
と言われたいと思う。
 
 
 
でも、その「本物とは?」が曖昧なままだと
目指そうにも、目指せないよね?
 
 
 
なので、今回は
「本物」とは?を考えてみたいと思う。
 
 
 
 
 
さてさて。
 
 
まず大前提というか、そもそも論なんだけれど、
 
 
ある側面から考えれば、ニセモノなんて
この世に存在しない、とも個人的には思っている。
 
 
 
たとえばピカソの描いた絵を模倣したとしても、
それは
 
 
「本物の模倣品」
 
 
だろうし、
 
 
物的、知的なものをパクったとしても、
 
 
「本物のパクリ」
 
 
なんじゃないか?
 
 
とも思える。
言葉あそびみたいだけれど。笑。
 
 
 
模倣やパクリから
新しいチャレンジが始まることもあるし、
人類の歴史は、先人からのパクリの連続であるとも言える。
 
 
 
なので、パクったからと言って
 
即、ニセモノ!!
 
というわけではないんじゃないかな?
 
 
というのが、個人的見解だ。
 
 
 
 
 
しかし、今回探究したい「本物」は
 
 
「いや、そういうハナシじゃないし!」
 
 
という事だと思うので、さらに深く考えていくと。
 
 
 
 
 
 
いろいろと考えを巡らせてみたんだけれど、
 
 
本物とニセモノの差は、私は
 
 
 
【 責任 】
 
 
の差なんじゃないか?と思う。
 
 
 
 
製品や作品に対して、
深い深い責任感を持って生みだす。
 
 
あるいは、
自分の言葉や行動に対して、
誰よりも自分で責任を感じる。
 
 
 
それが「本物」だと思うんだけれど、どうだろう?
 
 
 
逆に、ニセモノは
 
製品や作品に関して、どこかで浮わついて考えている。
 
 
 
あるいは、
 
自分の言葉や行動に対して、
なにかまずい事態になった時は、
責任を放棄して逃げ出す。
 
 
そんな気がする。
 
 
 
 
 
たとえば、伝統工芸品などは、
過去から継承されている技術を
愚直に繰り返して、丁寧に作られる。
 
 
もしかしたら、商売としては
そんなに上手くないかもしれない。
 
 
でも、その伝統を守る、という責任感と、
今までの伝統を汚すような作品は世に出せない、
という責任を担っている。
 
 
だから、見る人は、そこに「本物」を見出す。
 
 
 
 
当たり前のことを、当たり前にやる。
 
それは退屈かもしれないし、
新鮮味もないかもしれない。
 
 
でも、そこに責任があるから、
軽はずみな事は選択しない。
 
 
そんな姿勢が「本物」にはあるんじゃないかな?
なんて思う。
 
 
 
 
逆に、ニセモノは、
 
「とりあえず、これくらいでいいんじゃね?」
 
「どこかからパクっても、儲かればいいんじゃね?」
 
「お客さんのことを考えなくても、いいんじゃね?」
 
という、軽薄さが残っているような気がするんだよね。
 
 
 
「誰でも手軽に稼げます!!!」
 
みたいな文言も、
その言葉に本当に最後まで責任をもって
命をかけて全うするのであれば「本物」になるだろうけれど、
 
 
「稼げなかったのは、アンタの努力不足だ」
 
みたいに、自分の責任を放棄するのであれば
それはニセモノ、ということになるように思う。
 
 
 
また、たとえ目に見える態度や言葉が重々しくて、
いかにも「本物でござい」という風に見えていたとしても、
 
いざという時にさっさと尻尾を巻いてドロンとしちゃうと、
やっぱりそこには「本物」を感じないと思うのですが、いかがでしょう?
 
 
 
 
 
そりゃ人間だから、失敗もする。
 
でも、その時に逃げずに責任を果たそうとするのならば、
少なくとも「ニセモノ」のレッテルは、貼られないんじゃないかな?
 
と思うんだけれど、どうでしょう?
 
 
 
 
さてさて。
 
 
本物とは、責任である。
 
 
 
別の言葉で言いかえれば、
どれだけ当事者意識を持っているのかが
本物とニセモノを分けるようにも思う。
 
 
 
ニセモノは、どこかで製品やら作品やら
自分自身の人生やらに当事者意識を持たずに
フワフワと浮いてしまっているようなものなのかもしれない。
 
 
本物が好きなら、
そこにどれだけ責任があるのかを見極めればいい。
 
 
本物になりたいのであれば、
自分自身が、どれだけ責任を全うしているのかをはかればいい。
 
 
 
誰でも本物が好きだから、
 
責任を全うする者には、
仕事も、お金も、人気も、集まって来るように思う。
 
 
 
定義をしたからには、 
私自身が、どれだけ自分の言動に責任を担っているのか、
しっかりと再認識しようと思います。
 
 
ではでは。

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