最近は「ブーム」と言えるほどに
スピリチュアルなものへの関心が高い人が
増えてきたよね。
個人的には「人智を超えた何か」は
あると思っているし、
その力の偉大さに触れたいとも思っている。
その反面、友人が分析した
「現在のスピリチュアルブームの背景」
っていうのが秀逸だったので、
思わずうなってしまったんだよね。
なので、今回は友人が語ってくれた
「スピリチュアルブームに至る病」の
思考回路をシェアしようと思う。
(私なりの分析も混じっちゃうと思うけど)
今、スピリチュアルブームを支えている層は、
子供のころに、親からの愛情を受けて
「○○ちゃんは、頭が良いね」
と、核家族の中、育てられてきた人が多いだろう。
それを受けて本人は、
「そうか、私は頭が良いんだ」
「頭がいいと、褒められるんだ」
と、意識的にも無意識的にも思う。
また、テストとかでも頑張って勉強していい点を取ったり、
「いい会社」に就職が決まれば、褒められただろう。
「○○ちゃん、もっと頑張れば
もっといい点が取れるね」
「あの会社に入れるなんて、努力が実ったね」
そこで、
「そうか、頑張ると報われるんだ」
「努力すると、いいことがあるんだ」
と、なんとなくは学習している。
そして、「頭が良い私」が「頑張る」わけだから、
幸せにならないわけがない。
そんな風に、自然と脳にプログラミング
されちゃっているんだよね。
エリートコースというか、
秀才の道を歩んできた人は、特に。
ところが。
現実を振り返って見ると、
そうでもないことが多くなってくる。
「頭が良い私」のはずなのに、
なぜか経済的に窮屈になったり、
人からの尊敬を集められなかったりする。
「努力している私」のはずなのに、
勤めていた会社が、急に傾いてきたり、
頑張ってきたことが無意味になったりする。
特に現代は、親の世代が若いころには
体験していないような「報われない努力」が
ごまんとある。
おかしい。
こんなはずじゃない。
「頭の良い私」が、こんなに「努力」しているのに。
そして、ここからの思考回路が「病」に走る人の
考え方だ。
思考回路は、ここから別の方向に向かう。
そうか!
「頭の良い私」が「努力」しても報われないのは、
きっと、「運」がないに違いない。
それしか、もう考えられる原因はない!
ならば、スピリチュアルだ!パワースポットだ!
そんな風な思考回路に至る人がいるらしいんだよね。
もちろん、現在スピリチュアルな世界に
関心を抱いている人が、全員同じ思考回路ではない。
ただ、「にわかスピリチュアル」な人の多くは
こんな思考回路らしいんだよね。
(つまり、ちゃんとスピリチュアルに向き合ってて、
ビジネスをしている人は、この思考回路を理解すれば、
お客さんは増えるよ(ニヤリ))
「運がない。だからスピリチュアルに頼ろう」
「パワースポットに行けば、解決する」
という考え方の根底にあるのは、
「私は間違っていない」
という、自己弁護だ。
「頭は良いか悪いか分からないけれど
使い方が時代にマッチしていないのかも」
「努力しているけれど、その努力は
より多くの人への貢献になっていないのかも」
と、一歩立ち止まって
「私は間違っているのかも」
とは考えない。
「私は頭が良くて、努力しているんだから、
間違っているとしたら、他の人だ。社会だ」
と、信じて疑わなくなっていて、そこから抜け出すことが、
自分でもできなくなっちゃっているから
スピリチュアルな世界にすがっていく。
そんな道をたどる人も多いらしいんだよね。
考えて見れば、宗教にハマる思考回路も
同じかもしれないね。
「こんなに頑張っているのに、なぜ幸せにならないの?」
「私は間違っていないのに、なんでこんなに運が悪いの?」
そんな窮屈な思考回路につけ込んだ宗教者が、
高価なツボを売ったりするのかもしれない。
今回の話は、多くの人から見ると、
“スピリチュアルな人側”にいる私が言うのも
ヘンかもしれない。
でもまぁ、視野を狭くするんじゃなくて、
頭の使い方も、ちょっと疑って変えてみたり、
努力も、アプローチを変えてみたりした上で、
スピリチュアルも生活にとりいれるのが良いなー、
と思った次第。
個人的には、スピリチュアルなものというのは、
何も特別なものじゃないと思う。
人の営みの一部に、ごく自然に溶け込んでいるものだと
思うんだよね。
ではでは。
あなたの一日に、いいことがありますように。