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言葉の力。

あらためて言うまでもない事かもだけれど
私は言葉の力を信じている。
 
言葉こそが、世界を変える最大の力を持っているし
人生を豊かにも、そうでないものにもする、と
信じて疑わない。
 
もちろん、それは言葉以外のものの否定ではないし、
私が勝手に思っていることで、押し付けもしない。
 
 
その上で、最近読んだ、
 
『サピエンス全史』
『ビッグデータの残酷な現実』
 
といった、いくつかの本から、
 
「言葉、すげー!」
 
とあらためて感銘を受けたので、
今回は完全に身勝手にシェアしたいと思う。
 
 
 
 
さて。
 
ものすごーく昔の話になるんだけれど
私たち人類の祖先にあたる種は
250万年前から地球に生息していた。
 
 
その頃から、他の動物よりも並外れて
大きな脳を持っていたものの、
特に他の動物よりも勝っていた種ではなかった。
 
 
100万年前には、
原始的な道具を使えていたらしいが、
それの最大の役割は
 
「ライオンなどの猛獣が食べ残し、
 そのあとハイエナなどが食べ散らかした後の
 骨を割って、骨髄をすするため」
 
だったらしい。
 
 
人間は、ハイエナさんのあとの「残飯」をすするだけの
哀れな、力なき動物だったわけだ。
 
 
それが数万年、数十万年と続いた。
 
 
 
それから、火を手なずけることにより
今まで消化できなかったものを
食べられるようになった。
 
しかし人間が、今の人間たりえてきたのは、
今からわずか7万年前に過ぎない。
 
 
私たちは、つい
 
 
「そりゃ、頭脳が高かったから
 他の動物たちとは一線を画す存在になったのだろう」
 
 
と思いがちだけれど、
頭脳という点では250万年前から秀でていたのに、
それまでは単なる
「頭でっかちの、いち生命種」だったに過ぎない。
 
 
 
それが、なぜ今日のような
文明を築けるようになったのか?
 
 
 
そこには「言葉の力」が大きく関わっている。
 
 
 
 
約7万年前、たまたま遺伝子の突然変異が起こり、
 
「今までにない言語の意思疎通」
 
ができるようになったのが始まりだ。
 
 
それまでも、言語は、たくさんの動物が持っていた。
 
今でも、多くの動物や昆虫が
独特の言語を持ってコミュニケーションを取っている
という研究結果が示されている。
 
 
ただ、人類(の一部)は、脳の突然変異により、
他の生物が持ちえなかった言葉の力を持つことになった。
 
 
 
 
それが、
 
 
「虚構を共有する」
 
 
という力だ。
 
 
 
 
それまでは、限界値として150個体程度の
グループしか作れなかった。
 
 
それが、
 
「私たち部族の守護霊は、ライオンである」
 
といった「虚構」を共有することによって
大きなグループをまとめあげることが
可能になっていった。
 
 
それまでは、エサを分け合えたり、
狩りの協力ができるのは
 
「よく知っている顔見知り」
 
だけだったのが、
 
「同じ守護霊を信じる仲間」
 
という抽象的な共有でも、協力が可能になったのだ。
 
 
 
そして、その虚構が複雑なものになってゆくにつれ、
人類は、虚構を共有している者同士であれば、
より多くの人々が協力できるようになっていった。
 
 
たとえ初めて会ったような人であっても、
おなじ「虚構」を持っているのであれば、
互いに手を取り、仲間と認知し、助け合えるようになった。
 
 
現在では、その虚構は
 
 
宗教の教義
 
法律
 
お金
 
ビジネスルール
 
同じ国の住人
 
 
などの形を取っているわけだけれど、
それらは全部、言葉で作られた物語とも言える。
 
 
 
 
つまり。
 
 
 
虚構、ストーリーという言葉の力こそが
人間を人間にしている、最大の功労者なのだ。
 
(と、私は解釈している)
 
 
どちらが幸せだったのか?
動物より現在の人類が優位なのか?
という話は、また別として、
 
 
ストーリーを生み出すという言葉の力がなかったら、
今でも人類は、動物の影におびえて
少人数のグループで、肩寄せ合って生きていた
可能性が濃厚なわけだ。
 
 
言葉こそが、人類を
今日の姿にしたのは間違いない。
 
 
 
 
さらに。
 
 
この「言葉の力」は、
今後ますます大きくなってゆくだろう。
 
 
現代の、かなりモノグサな若者であったとしても、
1990年代の若者の数倍は
言葉を文字にしている。
 
 
以前は電話や、手書きの手紙が連絡手段だったのが
今は普通にキーボードやスマホを使って
文字によるコミュニケーションを取っているのだから。
 
 
 
口頭でも、文字でも、
もちろん言葉の力を使うことはできる。
 
 
しかし、大きいのは、その「拡散力」だ。
 
 
昔は、100人に
自分の言葉を届けられるスピーカーは限られていた。
 
しかし、今は簡単に
100人にでも、1000人にでも
自分の言葉を語ることができる。
 
 
それも、全員が。
 
 
 
そこで、言葉の力、
ストーリーテリングの力が発揮されたら
世界はどうなるのだろうか?
 
 
それだけの、ものすごい世界になっていると思う。
 
 
もちろん、言葉以外でも
発信する方法はある。
 
 
絵画を描くのもあるだろう。
 
写真もあるだろう。
 
歌もあるだろう。
 
ダンスもあるだろう。
 
料理もあるだろう。
 
 
今は、それをネットに乗せて
100人、1000人に届けることもできる。
 
 
その活動、ひとつひとつが素晴らしいし、
出来る人に憧れ、尊敬する。
 
 
その上で、
 
「そこに、言葉の力が加わったら?」
 
と思う。
 
 
どのような作品でも、
そこにストーリーが乗るだけで
見るものに与える心象を変えることができる。
 
 
多くの人と共有し、
手と手をつながせることができる。
 
 
人類を人類たらしめた「言葉の力」が、
そこに乗れば、どんな世界でも構築できる。
 
 
 
 
さて。
 
 
私は、言葉の力を信じている。
 
 
人類が、火の次に手に入れた最強の力が
ストーリーを紡ぎ、共有することだと信じている。
 
 
そして、その言葉の力は、
誰もが持っているとも信じている。
 
 
 
 
だから。
 
 
その言葉の力を使って、世界を美しくしたい。
 
 
あなたの言葉で、あなたの世界を美しくしてほしい。
 
 
そんな風に思っていて、今日もこうやって
言葉を紡ぎ続けているわけだ。
 
 
 
あなたの世界を美しくする
一助になれたら、うれしいです。
  
 
 
ではでは。
 

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