また難題の定義づけ質問がやってきた。今回来た質問は、
「イグさん、世の中には
おじさんくさい人や、おばさんくさい人がいますが、
そうじゃない人と、におう人の違いは何なんでしょう?」
「私はオッサン・オバサンぽくなりたくないのですが、
どこを注意すればいいんですか?
オッサンくささ・オバサンくささの定義は?」
というもの。
、、、え?
、、、これって、難しくね??
難しい分、今回、けっこう長いよ?
さて。
たしかに、世の中には
オッサンくさい人や、オバサンくさい人がいる。
しかし、それは単に年齢だけで決まるものじゃないのは
感覚的に分かる。
年齢的には、明らかに中年やそれ以上なのに
オッサンオバサン臭がしない人もいれば、
小学生なのに「なんかオッサンっぽい」という人までいる。
そしてみんな、たぶん
「あの人、オッサンくさい」
「あの人は、オバサンっぽい」
「でもあの人は、年齢の割に全然オッサンぽくない」
「あの人は、いつまでもキレイに歳を重ねるなぁ」
なんて感覚はあって、おそらくその感覚は
「私も、あの人はオッサンっぽいと思う」
「私も!」
「私も!」
と、共有しているようにも思う。
(そうやって考えてみると、ものすげー残酷)
でも、
「じゃあ、オッサン・オバサンぽい人と
そうでない人の、決定的な境界線は?」
と言われると、難しくない?
いやね。
言動を見ていったら、そりゃいろいろあるよ?
オッサンは、
おしぼりで顔をふいたり温泉に入ってうなったり
おやじギャグ言ったりナンチャッテとか言っちゃったり
あからさまなセクハラ発言したり説教くさかったり
昔を語っちゃったりワルかったオレ自慢したり
お尻をポリポリかいたりフケが積もっていたり
どっこいしょとかよっこらしょとか言っちゃったり
アイドルがみんな同じ顔に見えちゃったりするさ。
オバサンは、
相手のことを考えずに長くおしゃべりしちゃたり
歳だからと自分を卑下したりなんでも文句言ったり
やだーとかバンバンしたりアラやだとかヒラヒラしたり
ちょっと知ってる?とかここだけの話なんだけどと噂したり
買物する時にあごに手を持っていったり特売に固執したり
ポイントクーポン命だったり男子トイレとか使っちゃったり
下着が肌色だったりするさ。
でも、そういった表層に見えるところでなく、
「コレだからオッサン・オバサン認定!
はい、おめでとう!」
っていう定義づけは、
相当難しいと思うんだけれど、どう?
なのに、これを定義づけしろと!?
マロが定義づけするのでおじゃるか???
しかし、
この手の質問や依頼は、
私の中では「挑戦状」と同じこと。笑。
絶対に定義づけしてみせる!
じっちゃんの名にかけて(嘘)!!!
、、、ってなわけで、
いろいろな仮説を立ててみたのだけれど
これまた、ものすごく難しい。
今までで、一番難しい定義づけのひとつな気がする。
オッサン・オバサンくさい人と、
そうでない人の差とは?
あーでもない、こーでもない、
これは例外が出てしまう、、、と
ウネウネと考え続けた結果。
現時点でたどり着いたのは、こちら。
【 外聞の省エネ 】
これだね。
、、、って、これだけじゃ全然わからないので、
説明をさせてもらおう。
「外聞」ってのは、
「恥も外聞もない」みたいに使われる言葉で、
「内部の事が他人に知られること」
という意味。
自分の内部のことが、他の人に知られることっていうのは
よろしくない時もある。
やはり、公の場では、
「これは自分の中だけにとどめておこう」
という境界線があって、しかるべしだろう。
そして、いわゆるオッサン・オバサンなんだけれど、
この外聞が
「ない」
わけじゃない。
っていうか、ある部分においては
「最近の若者ときたら、恥も外聞もない」
と、自分のことを棚に上げて嘆いたりもするし、
世間様への気遣いとかができる自分に
自信を持っていたりもする。
なので、「外聞がない」わけじゃない。
ただ、世間のことを
ある程度わかったと思っているところに
実は大きな落とし穴があると思われる。
世間のことは、だいたいわかっている。
やってはいけないことは、わかっている。
だけど、これくらいなら、いいよね?
みんなもしてるし、いいよね?
という「隙」ができる。
体力的にも衰えてきた。
気力も落ちてきたのに、
気を遣わなければならないところだらけだ。
全部にエネルギーを注いでいたら、
気力も体力も、もちそうにない。
だから、「これくらいなら、いいよね?」。
と、省エネに走り始めた時、
オッサン・オバサン臭がただよい始めるわけだ。
自分のコンフォート、居心地よさを優先し、
仮にそれに関わった人が多少不快になったとしても
鈍感でいられる姿勢。
自分のエネルギーをなるべく消費しないようにする
あさましさが、臭いとなって空気中に散布される。
それが、オッサン・オバサン臭の正体だと思う。
ちなみに、一般的な「ワガママな人」と違うのは、
目的が「省エネのため」なところ。
ワガママっていうのは、
自分の思う通りにするための言動なので
実は、けっこうエネルギーを消費する。
オッサン・オバサンっぽさは、そうじゃなくて
「とりあえず、楽させて」
「もう、大してエネルギー残ってないんだから」
ということで、にじみ出てきてしまう態度だったりする。
さぁ。
今回は、かなり辛辣な意見をぶちかましていますけれど、
ここからは、さらにチビシク行きますぜ?
おしぼりで顔をふいたり温泉に入ってうなったりは、
自分の内部の快楽を優先させてるから。
外聞の省エネなわけだ。
おやじギャグは、自分で面白いことを
頭をひねって考えるのが面倒だから。
それをはずしたら、とりあえずナンチャッテとか
言っておけば、面倒じゃないから。
リスクを取るほど、エネルギー残ってないから。
セクハラは、真剣に女性を口説くほど
エネルギーが残ってないけれど、女性には興味があるから。
説教くさかったり
昔を語っちゃったり
ワルかったオレ自慢したりするのは、
未来を吸収するより、過去の経験則を語る方が
省エネできるから。楽だから。
お尻をポリポリかいたりフケが積もっていたり
どっこいしょとかよっこらしょとか言っちゃったりするのも
自分の内部の快楽で、
「これくらいなら、いいでしょ?」
の境界線が、パンツのゴムのようにゆるんでいるから。
アイドルがみんな同じ顔に見えちゃったりするのは、
もう、さほど興味がないところに
記憶力使っている場合じゃないから。
また、
長くおしゃべりしちゃたりするのは、
相手のことを考えるのに
エネルギー使っている余裕がないから。
歳だからと自分を卑下したり
なんでも文句言ったりするのは、
それで自分を守っておいた方が、なにかと楽だから。
やだーとかバンバンしたり
アラやだとかヒラヒラしたりするのは、
もう、それ以上派手な全身の動きで
感情を表現するのが、おっくうだから。
ちょっと知ってる?とか
ここだけの話なんだけどと噂を公開するのは、
自分の力で興味性の高い情報を得る労力を省いているから。
買物する時とかにあごに手を持っていったりするのは
特売に固執したり
ポイントとかクーポン命だったりするのは、
買い忘れとか損する買い物をするよりは
ここでエネルギーを使っている方が省エネになるから。
男子トイレとか使っちゃったり
下着が肌色だったりするのは、
もう、機能効率でいいんじゃない?だから。
。。。ふぅ、こんなもんでいいすか?
とまぁ、ここまで言っておいてなんだけれど、
今回の話は
「私はオッサン・オバサンぽくなりたくないのですが」
という前提のもとで展開しているので、
個人的には、オッサン臭にもオバサン臭にも
罪はない、と考えている。
体力的にも気力的にも衰える中、
なぜ省エネに走るのか?
それは、さらに大切な何かに
自分の限られたエネルギーを注ぎ込むため。
仕事。家庭。大切な何か。
そんな自分のキラキラしたものを守るため、
そして世間様にも迷惑をかけないため、
自分のエネルギーを配分する。
それは、とても崇高な姿だとも思うんだよね。
人は、多様性を持っている。
オッサンぽいからダサい。
オバサンぽいからウザい。
そんなのは、それこそ表層的なものの見方だ。
それまで、その人が培ってきたもの。
そして今、その人が大切にしているもの。
その中で、自然と身ににじみ出てきた所作。
それも、ほんの一部分で、だ。
だから、個人的には、
もっと奥のところで、一人ひとりを知れたらうれしいな、
なんて思います。
。。。。ふーっ、
今回の定義づけは、しんどかったわー
おしぼり持ってきてー(フキフキ)
テイギづけが終わったから、
ケイキづけで一杯やるか~!
ナンチャッテー!!
昔はオレもワルだったんだぜー
、、、で、あのアイドルなんだっけ?
えー、あー、あれだよ!あれ!あれ!!
ってなわけで、よくわからんオチで。
ではでは。