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対を鍛える。

どんなものにも
プロフェッショナルって、いるよね?
 
 
そして、私が出会った
 
「この人、本物のプロだ」
 
と舌を巻く人は、必ずその「対」となるものの
重要性を説く人ばかりだ。
 
 
 
「対」、というと、分かりにくいかもしれない。
 
具体例を出してみよう。
 
 
 
たとえば、商品のコピーライティングで
超一流の人が友人でいる。
 
 
その人に、
 
「なんでそんなに、
 みんなの購買意欲を正しく高められるの?」
 
と聞くと、
 
 
「それは簡単。
 なにせ、僕自身が、いろんな商品を見て
 買いまくっているから」
 
 
「いいな、と思って買って、
 本当にいい買い物をした、と思える時と
 失敗した、という時がある。
 その、いい買い物をしたと思える時の感覚を
 コピーに活かしている」
 
 
と答える。
 
 
 
「売る」プロフェッショナルは、対となる
「買う」で、多くの成功と失敗をしている。
 
だから、超一流のセールスができるわけだ。
 
 
 
また、
 
氣功の師匠は、
 
「まずは技を受けること」
 
を、何回も、何年も何年もやらせてくれる。
 
氣で相手を吹き飛ばしたりできるのは、
その何倍も吹き飛ばされているからだ。マジで。
 
 
「倒される」を体感しているから、「倒せる」のだ。
 
 
 
 
これは、
 
おそらくどんなことにも言えるように思う。
 
 
写真を「撮る」のならば、
「撮られる」も体験しないと、
いい写真は撮れないのであろう。
 
 
 
美味しい料理を「作る」ためには、
まず自分が「食べる」喜びを知らないと難しいだろう。
 
 
 
美しい歌を「歌う」ためには、
心から感動できる歌を「聴く」体験があればこそだろう。
 
 
 
いい仕事をするためには、
自分がお客様になった時の体験が必要だろうし、
 
いい肉体トレーニングを誰かにするためには、
自分の肉体に対する愛情や成功や挫折が必要なのだろう。
 
 
 
 
もちろんそれは、私がやっていることにも言える。
 
 
文章を「書く」ためには、大量の「読む」が必須。
 
活字の魔法を使いこなすためには、
さまざまな「活字の魔法使い」たちのつむいだ
魔法を浴びることが大切。
 
 
 
なにかを「伝える」ためには、「きく」ことが最も大切。
 
面白い話ばかりでなく、自分が興味を持てない話でも
じっくりときくことによって、はじめて
「伝える」の本質に近づけるように思う。
 
 
 
ええ、株もそうですよ。
 
大量の損失で呆然自失とするから
プラスを受け入れることができる。
 
もう、ホント勘弁してほしいけれどね(笑)
 
 
 
 
さてさて。
 
 
おそらく、人は、
 
 
売ってばかりでは、
本当に心あるセールスにはなれない。
 
 
料理を作ってばかりでは、
本当に心ある料理人にはなれない。
 
 
 
 
私の体験として言えるのは、
 
 
書いてばかりでは、絶対にいい文章は書けない。
 
 
読んだり、話をきいたりしている中で
 
 
「素敵な話だ」
 
「えええええっ?」
 
「マジすか!?」
 
「・・・・・」
 
 
と、様々な経験を繰り返し、それが熟成することで
潜在意識の肥やしとなって、文章に顕在化する。
 
 
 
自分がレベルアップしたいことの「対」をみつけて、
それを磨いたり、鍛えたりするのは、とっても効果的だと思う。
 
 
そしてできれば、
 
その「対」となることでも、
 
 
退屈だったり、
 
屈辱的だったり、
 
自分のバカさかげんに打ちのめされたり、
 
圧倒されたり、
 
時間の無駄を感じたり。
 
 
そんな体験をして、
 
 
「自分が何をしたいのか?」
 
「だったら、自分ならどうするのか?」
 
 
を考えて、やりたいことに活かすといいかなー
なんて思ったりしちゃったりします。
 
 
 
 
あなたの磨きたいことの「対」は、なんですか?
 
 
そして、その「対」は、
あなたに何を教えてくれますか?
 
 
 
ではでは。
 

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