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講師の好み

これまた完全な好みだけど、
「私がゴール」型の講師・先生より
「きっかけ・スタート」型の方が好みだ。
 
 
「私のようになりなさい」
 
ではなく、
 
「あなたがなりたいようになって。
 そのために参考になるのならどうぞ」
 
というスタンスでありたい。
 
 
 
講師とかって、その場での役割だ。
 
特定のあることにおいて、
誰かよりも得意で先に知っていただけ。
 
それ自体はリスペクトだが、
全能であるはずがない。
 
 
「私がゴール」型は、
意識しているしていないは別にして
自分のコピーを作る愚をおかす。
 
 
仮に誰かのコピーになれたとしても
本人は幸せにならない。
 
 
抑圧された、ニセモノの笑顔を手に入れるだけ。
 
 
さらに、そうやってコピーになった人間は、
またコピーを作ろうとしてしまう。
 
 
「幸せのカタチ」を、
それしか知らないのだから当然だ。
 
 
その結果、作られた何かは
劣化コピーと呼ばれることだろう。
 
 
 
そんなの、もったいない。
 
 
 
講師は、あくまで役割であり、
一人一人の人生の触媒だろう。
 
 
そして、何かを学んでいる人こそが
主役であるのは、当たり前だ。
 
 
少なくとも、私が講師をやる時は
触媒でありたいと思ってる。
 
(だから、ワタシの周りにいる人は
 みんな個性が強くて、まとまりがないのだが。笑)
 
 
 
「一点へ」
 
と向かわせるコントローラーではなく、
 
「一点から」
 
それぞれの個性を羽ばたかせる人。
 
 
そんな風でありたいし、
私に色々と教えてくれている方々は、
そんなカオスな私を認めてくれている事に
心から感謝しマッスル。
 
 
ではでは。
 

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