何かを学ぶということ。
本からでも、
セミナーでも、
実体験からでもいいんだけれど、
私たちは「学ぶ」ことって、できるよね。
その中で、
同じプロセスを通ってきているはずなのに、
深い学びを得て実生活をどんどん変えていく人と、
全然変わらない人がいる。
例えば、
同じ本を読んでいるのに、
そこから多くを学ぶ人と、学ばない人。
同じセミナーに出ているのに、
どんどん変化していく人と、していかない人。
同じ体験をしているのに、
体験を栄養にできる人と、出来ない人。
そんな違いが出てきてしまうよね。
これって、なぜなんだろう?
と、
けっこう前から疑問を持っていたんだけれど、
なんとなく原因が分かってきたんだよね。
まぁ、気がついてしまえば
当然のことだったんだけれど、
様々な体験を、どんどん自分のものにしていく人は
「受け取り方」
が上手い、ということだったんよね。
「受け取り方」というと、ちょっとあいまいなので
別のたとえ方にしてみよう。
たとえば、
誰かが作ってくれた料理を食べるにしても、
実際に「食べる」という行為は、本人がしないといけない。
どんなに手の込んだ素晴らしい料理を
一流のシェフが作ったにしても、
どんなに栄養のバランスを考えて、
最善の食事が目の前にあったとしても、
フォークやスプーン、箸を使って
自分の口に運ばなければ、
一切食事を味わうことはできないし、栄養にもならない。
自分で「食べる」ということを選択し、
口に運び、よく噛み、体内で消化しなければ、
本人の「栄養」となって、新しい活力を生み出すことは
できないよね。
それと学びは、同じこと。
どんなに素晴らしい本であっても、
講師がどんなに情熱を傾けて本人の成長を願おうとも、
まさに体験したことが、本人に必要だったとしても、
本人が、本、セミナー、体験から
「何かを得よう」
と思っていなければ、本人の栄養にはならない。
本人が「得よう」と思い、
目の前にあるものの隅々まで味わい尽くし、
自分なりに咀嚼し、かみくだき、
頭で考えるのではなく、体で消化することによって、
初めて、栄養になり、自分を大きくしていくんだなぁ、
と感じた次第。
ひとつの学びから、多くを得る人は、
「どんなことからも学ぼう」という「食欲」もある。
自分の体内に運び込むのも、うまい。
そこからかみくだき、消化し、体内に取り入れるのも、うまい。
そんな風に感じたんだよね。
そして。
もっとも大事なことは。
「口をあけること」。
もしかしたら、
ものすごく食事をするのが下手な人には、
親切な誰かが
あなたにもっとも食べやすいものを、
あなたにもっとも食べやすい大きさで、
あなたのもっとも好みの味付けで、
口元まで持って来てくれているかもしれない。
赤ちゃんの時に、母親が離乳食を
食べさせてくれたようにやさしく、ていねいに。
1対1で講師と向き合える少人数のセミナーや個人セッション。
また、とても相談を聴くのが上手い人なんかは、
もっとも必要であろう栄養を、口元まで運んでくれるだろう。
ただ、
本人が口を開かない限り、その食べ物は
栄養になることはない。
口を開かない限りは、
どんなに親切な料理提供者も、お手上げなのだ。
だから。
まず、何かを学ぼうと思った時には、
おそれや不安はあるだろうけれど、
提供してくれる人を信じて、
「心の口」
を開けないと、何も始まらない。
もちろん、提供者も、いつも100%完璧に
あなたに合った料理を提供できないかもしれない。
大きすぎたり、熱すぎたり、固かったりするかもしれない。
それでも、まずは相手を信じて「口を開く」。
そこから、すべての学びははじまるんじゃないかなぁ、
なんて思った次第。
で、
セミナー講師としては、
相手がちゃんと「心の口」を開けるように
信頼してもらえることこそが、最初の一歩であり、
最重要なことだなぁ、とふり返ってみたりもして。
ではでは。