道具を選ぶように、その時に使う学びを選ぶ。
このブログを読んでいる人は
本当に勉強熱心な人が多いと思う。
なので、様々な分野での学びを継続していると思うし、
それはとっても素晴らしことだと思う。
ただ、
学びというものはツールなので、
使う場面やタイミングを間違えると、
効果がないどころか、マイナスにも
なり得てしまうように思うんだよね。
たとえば、
「出来事に意味はない。
解釈によって、どんな風にも取ることが出来る」
というような考え方がある。
それ自体は、使う局面によっては
とてもパワフルな効果を発揮するし、
素晴らしい考え方だ。
しかし、あくまでもツールなので、
使う局面を間違えると、かえって良くないことにもなる。
自分がやってしまったことで、
友人の気持ちを不快にさせてしまったような時に
「友人が不快になったという出来事に意味はない」
などと考えて謝らなかったら、
その人との関係性は壊れてしまう。
また、
「ポジティブシンキング」
「プラス思考」
というのも、単なるツールだ。
もちろん、ポジティブに考えることによって
多くの障害を乗り越える勇気をもらえることもあるし、
常時ネガティブな人よりは、気持ちがいいだろう。
しかし、
お葬式の席でポジティブシンキングを発揮して、
「さあみんな!ポジティブに考えてみよう!」
なんて踊りだしたりしたら、
完全に“空気の読めない人”でしかない。
まぁ、学びと言うツールをどう使うかは
その人しだいなんだけれど、
ちょっともったいないな、と思うのが、
「学びを言い訳に使う」
「学びを逃げに使う」
という使い方。
「引き寄せの法則」という
「欲しいものを具体的にイメージすると
その欲しいものがもたらされる」
なんていう「学び」も、
人によっては具体的行動をしない
逃げ口上にも活用できる。
前述の「物事は解釈しだい」「ポジティブ思考」で、
とにかく自分が傷つかない解釈だけを選択し、
事実をねじ曲げるのは、
単なる言い訳になってしまうと思うんだけれど、
あなたはどう考えるだろう?
ハサミには、ハサミを使う場面がある。
それと同じように、学びも
適切な使う場面があるし、使い方もある。
せっかく時間や労力、お金をかけて学んだことだったら、
もっとも効果を発揮するような使い方を
するといいのかもしれないね。
特に、すでにたくさんの「学びというツール」を
持っている人は、
「ツールを使っているのではなく
ツールに使われている」
みたいな状況にならないように
気をつけたいものだよね。
なぁーんて言っている私が
最も「学びというツール」に振り回されまくっている
一人だったりするんだけれどね。
気をつけたいと思います(笑)
ではでは。