わたしが5歳の誕生日を迎えた朝、
おかあさんが「お面」をプレゼントしてくれた。
そのお面は、つるんとした卵型で、凹凸が全くない、
顔が書いていない「のっぺらぼうのお面」だった。
おかあさんは、私にお面を手渡しながら、
「あなたもそろそろ、このお面が必要ね。
無難に、安全に生きていくためには、
このお面が必要なの。
お母さんも、このお面のおかげで
ずっと大きなトラブルにまきこまれないで
世間体も悪くないまま過ごせてこれたわ」
「世の中の大半の人は、
みんな、このお面をつけているから大丈夫。
このお面をつけている人と仲良くしていれば
おかしなことには巻き込まれないから」
と教えてくれた。
わたしは、おかあさんの言っている意味が
全部は理解できなかった。
けれど、
愛するおかあさんがわたしのために言ってくれている、
ということだけは分かったので、
その日からお面をつけて生きていくことにした。
はじめのうちは、「のっぺらぼうのお面」をしていると
息苦しくて、時々はずしたくなったし、
いつのまにかお面がずれてしまったこともあった。
でも、年を重ねるにつれて、
どんどんお面をつけていることに慣れていき、
そのうち、お面をつけていない方が不自然に思えるほど、
わたしにとって当たり前のことになっていった。
とにかく、顔をみせない。
自分という存在に凹凸をつけない。
「何が好き」「何が嫌い」ということも、言わない。
ちょっと窮屈だと思うこともあったけれど、
おかあさんの言うように、
おかげで大きなトラブルに巻き込まれることはなかった。
ささやかな幸せも感じた。
成長していくにつれて、
他の人ともたくさん接するようになっていった。
街ですれ違う人の、ほとんどが
「のっぺらぼうのお面」をつけていた。
「のっぺらぼうのお面」をつけている人同士だと、
大きなケンカにもならないし、
お互いに予想できる範囲内で会話も進むから
安心していられた。
たまに、お面をつけていない人もいたけれど、
わたしの住んでいる世界とは違う人みたいで、
ちょっとこわかった。
なんで、あんなに自分の顔を
むきだしでいられるんだろう?
そんな風に思って、お面をつけていない人には
なるべく近づかないようにして、
お面をつけている人たち同志で集まっていた。
そして年月は過ぎ。
そんな私も、世間で年頃と言われる年齢になり、
結婚を意識するようになっていった。
一生を過ごす相手ですもの。
最高に自分に合った人と結ばれたい。
でも。
どんな人が、自分に合った人なんだろう?
周りを見渡すと、どの男性も
私と同じような「のっぺらぼうのお面」をつけている。
みんなやさしくて、
私と同じような生活環境で、
それなりに夢や希望もあって、
人並みの幸せを願っている。
話をすれば、みんな同じような返事が返ってくるし、
それには安心もできる。
でも、その人の「生の心」に触れることはないし、
その人の生き様、顔は見えてこない。
だって、どの男性も、わたしと同じように
「のっぺらぼうのお面」をつけているのだもの。
そして。
男性の方も、わたしを選ばない。
「かわいいね」と言ってくれる男性はいる。
会話を楽しめる男性もいる。
体を重ねる男性も、何人かはいた。
それなりの夢を語り、
人並みの幸せをつかみたいね、
と話した男性もいた。
でも、誰も「あなたしかいない」と
わたしを選んでくれる男性ではなかった。
なんで?
なんでなんだろう?
わたしは多くを望んでいない。
世間でも、恥ずかしくない。
今までだって、大きなトラブルなんて
起こさないようにしてきた。
これからだって、まっとうに生きていける。
人並みの幸せをつかめれば、それでいい。
お面だって、こんなに上手につけられている。
そんなわたしなのに、なんで選ばれないんだろう?
どうして?
どうして?
「のっぺらぼうのお面」をつけている人たちに相談しても、
答えはみんな同じだった。
「みんな、見る目がないよねー」
「理想が高いんじゃない?」
「そのうち、いい人が現れるよ」
みんな、やさしい、いい人たちだ。
凹凸のない、卵型のお面をつけながら、
小さすぎず、大きすぎない笑い声で話してくれる。
みんな、安心できる言葉をかけてくれる。
でも。
わたしが聞きたいのは、そんな言葉じゃなかった。
わたしは思い切って、お面をつけていない人に
会いに行った。
その人は、こわい。
なんで、顔をむき出しにして生きているのに、
いつも平然としていられるんだろう?
「なにごとも無難に」と教えられてきたわたしよりも
イキイキとしているようにも見える。
不思議。どうして?
でも、今はそんなことはどうでもいい。
わたしは、なぜ自分が理想のパートナーに出会えないのかを
「のっぺらぼうのお面」をつけていない
その人に聞いてみた。
その人の答えは、シンプルだった。
「幸せになりたい。。。って。
じゃあ、あんたの幸せって、なんなの?」
わたしは、思いもよらない質問にとまどった。
幸せ、って、、、幸せ、でしょ?
みんなが思い描くような、そんな幸せ以外に
どんな答えがあるの?
その人は「のっぺらぼうのお面」をつけていない顔を
くちゃくちゃにして、笑いながら、怒りながら、
わたしにこう言った。
「顔が見えない、心も見えない
大量生産の“何か”を、一生のパートナーにしたい人なんて
なかなかいないよ。
のっぺらぼう同士で、適当にくっつくんなら
話は別だけど」
「あんたは、“わたしを選んで!”って言っているけれど、
で、あんたって、一体誰なの?」
その人は
「何を大切に守っているか知らないけれど、
そんなお面をつけているうちは、
本当の辛さも体験しない代わりに、
本当の幸せも、あんたが何者かもわからないよ」
と言いながら「ま、がんばれ」と席を立った。
その人が去ってから、
どれくらいの時間が経っただろう?
わたしは、思い切って、
自分の顔から「のっぺらぼうのお面」を取り去った。
風が、痛い。
どうしようもなく、不安になる。
裸で街中に放り出されたような気持ちだ。
すぐに、お面をかぶり直したくなる。
でも。
。。。でも。
お面をはずしてみて、久しぶりに感じる感覚。
景色が、こんなに広く見えるなんて。
風はこんなにも厳しく頬を打つけれど、
それは、なんと爽快なんだろう!
土のにおいが鼻をつく。
陽射しが、ダイレクトに肌に突き刺す。
そうか。そうだったのか。
思い出した。
これが「わたし」だったのか。
結婚とか、そんなことは、どうでもいい。
まず、わたしが「わたし」を生きること。
それで、いいんだ。
それが、いいんだ。
彼女は、さっそうと歩きだした。
久しぶりに頬を打つ風は、まだ痛いけれど、
それも、そのうち慣れるだろう。
彼女は、後ろを振り返ることなく、
街の中に消えて行った。
彼女が立ち去った後には、
卵型のお面が、ただ残されていた。
少し寂しそうに。
卵からかえった新しい命を祝福するように。