薄暗いボロアパートの一室。
痛みきった古畳の真ん中に、
男が一人、首をうなだれながら
あぐらをかいていた。
「はぁ、、、恵まれないなぁ」
男は、自分の過去を振り返っていた。
頭も悪かったわけじゃない。
運動神経も、そこそこよかった。
外見だって、人に不快感を与えるようなものじゃない。
でも、いつのまにか、
こんなボロアパートにしか住めないように
なってしまった。
「俺に、もっと運があればなぁ。
せめて、もうちょっと環境が違っていたら
全然違う人生を歩めたのに・・・」
男がため息まじりで独り言を言っていると、
「願い、かなえますよ」
と、男の背中ごしに声が聞こえてきた。
自分以外、誰もいないはずなのに!?
と、男が振り返ると、そこにはいつのまにか
スーツを着た小人が正座をしていた。
「誰だ?」
と男が尋ねると、小人は、
「さぁ?人によっては天使と言ってくれますし、
またある人は、悪魔と呼んだりしますけれど?」
と答えた。
男は状況を飲み込めずにいたが、
小人は勝手に話を始めた。
「私ができることはですね。
あなたと誰かの魂を交換してあげることです。
今回、あなたがその権利を手に入れたんですけれど、
この権利、使います?」
男は、変なやつが勝手に部屋に転がり込んできたなぁ、
と思ったのだが、話し方や表情には、妙に信憑性がある。
男は、小人に質問をした。
「魂を交換する、って、どういう事だ?」
小人は淡々と答える。
「意識はそのままなんですが、
あなたが指名した人と、そっくりそのまま
意識以外のものが交換される、ということになります。
つまり、あなたからすると
誰かの生活環境と肉体を乗っ取る、
みたいな感じになりますかね。」
男は、そんなバカな!と思ったが、
もう少しこの小人の話に付き合ってみることにした。
「ってことは、俺が有名スポーツ選手を選んだら、
そのままスポーツ選手になれるし、
大金持ちを選んだら、大金持ちになれる、
ってわけか?」
小人は、
「そうですそうです。
ただし、あなたの意識はそのままですから、
学者とかになっても、すぐに頭が良くなったりはしません。
あくまで、その人の環境と肉体を手に入れるだけです」
と答えた。
「で、そのチャンスを使うと、どんな代償を支払うんだ?
悪魔だったら、魂とか何かを奪っていくんだろ?」
男は疑り深く聞くと、小人は
「いえいえ、私が何かを奪うことはないです。
たまたまあなたに権利が巡ってきただけ。
取引じゃないんですよ」
と伝えた。
男は、念を押すように
「もうひとつ質問させてくれ。
その権利は、何回使えるんだ?
1回だけのチャンスなのか?」
と小人に詰め寄った。
小人は、
「いいえ、あなたが望むのならば、
何回でも、誰とでも交代できますよ」
と、返答した。
よく聞かれる質問なのか、
小人の説明はとても簡潔だった。
男は、ここまで話に付き合ったついでに、
という気持ちで、
「じゃあ、あの人かな・・・」
と、一人の野球選手の名前を小人に伝えた。
その野球選手は、単身海外の野球チームに乗り込み、
毎年のように素晴らしい活躍をしている人だ。
「あの人の生活環境と肉体を手に入れれば、
もう幸せ以外の何物でもないじゃないか」
男は、
「まぁ、そんな夢みたいな話
あるわけないけれど・・・」
と、自嘲気味に、ははっ、と笑った。
しかし、小人は
「かしこまりました。
では、あなたが必要な時に、またまいります」
と言って、目の前から姿を消した。
次の瞬間、男の目の前が一瞬
真っ白になったかと思うと、
男は見慣れない風景に立っていた。
「ここは・・・?」
いつのまにかバッターボックスに立っている。
しかも、そんじょそこらの野球場じゃない。
世界でもっとも有名な野球場だ!
男は状況を飲み込めずにいた。
いや、小人の言っていたとおりになったのだが、
現実に頭がついて来ていなかった。
球状の巨大スクリーンには、
見慣れた有名選手がアップで映し出されている。
そして、自分が体を動かすと、
その選手が、自分とまったく同じ動きをする。
いや。そうではない。
私が彼であり、彼とはつまり、私なのだ。
目の前には、
これまたテレビで何度も見たことのある外国人投手が、
今まさに自分に向かってボールを投げようとしている。
よし!
状況の把握は、あとまわしだ。
とにかく、今は、ボールを打ってみよう。
。。。あれから2年。
男は、スポーツ新聞に書かれた記事を
思い返していた。
「ヒーローの急落」
「過去の栄光、そして挫折」
「トレーニングもせず、遊びまわる日々」
「コメントも言い訳ばかり」
男は、たしかに有名野球選手の肉体と
生活環境を手に入れた。
しかし、ただの1回もヒットを打つことはなく、
次第にバッターボックスに立つことも減って行った。
肉体的にはヒットを打つ力があったのかもしれない。
でも、剛速球が目の前にくると、
どうしても怖さが先にきてしまうのだ。
男はトレーニングもやめ、
貯金を切り崩し、
夜遊びに興じるようになっていった。
そんな男が、チームから解雇を言い渡されるのには
それほどの時間を必要としなかった。
男はすべての貯金を使い果たし、
さらに借金を重ねて、日本に戻ってきた。
過去、国民的ヒーローであったとしても、
今はくたびれた借金まみれの男には、
借りることのできる家も限られていた。
不動産屋は言う。
「まぁ、あなたに貸せるのは
ここくらいしかないですね」
男は、目を疑った。
不動産屋が提示した物件は、
過去、自分が住んでいた
あの、古畳のボロアパートじゃないか!!
男はやむを得ずボロアパートと契約をした。
ふと気になり、不動産屋に
「以前、ここに住んでいた人は
今、どうしているんだ?」
と聞いてみた。
不動産屋は、
「いやぁ、実は今ちょっとした話題の人ですよ。
2年前まではパッとしなかったのに、
急にストイックな努力家になっちゃってね。
海外から野球のコーチとしてオファーをもらって
今は大活躍しているそうです」
と伝え、古い地域の新聞を見せてくれた。
そこには、りりしい笑顔をした
以前の自分の顔が写っていた。
「はぁ、、、恵まれないなぁ」
男は古畳の上にあぐらをかきながら、
自分の不運をなげいた。
「あんな風に人生が好転するんなら、
魂の交換なんて、しなければよかった。
ちょうどピークの時に
あの野球選手と、魂を交換しちゃったんだな。
バカなことをした」
そうやって男がうなだれていると、
どこからともなく、2年前に現れた小人が、
また現れた。
小人は、
「今回の魂の交換は、いかがでしたか?
さて、また誰かと魂を交換します?」
と、男に返答をうながした。
男は、
「よし!今度は一代で日本を代表する企業を創り上げた
あの社長と魂を交換してくれ!
前回は野球選手なんていうスポーツの世界だったから
調子が出なかった。
ビジネスの世界なら、なんとでもなるだろう。
なにより、環境が日本だから大丈夫だ」
と小人に伝えると、小人は、
「かしこまりました。
では、あなたが必要な時に、またまいります」
と頭を下げ、その次の瞬間、
男は白い光に包まれた。
。。。そして。あれから、また2年。
男は、この2年間にあったことを思い返していた。
小人の言うように、巨大企業の社長になった。
しかし、経営判断をことごとく誤った。
信頼の厚かったはずの部下が、
どんどんと自分のもとから離れて行った。
「なんでそんな小さなビジョンしか
描けなくなってしまったんですか?」
と、なじられた。
ライバル会社が、ここぞとばかりに
攻勢をかけてきた。
そして、現在。
また、なぜか昔と同じボロアパートの古畳の上で、
あぐらをかいている。
おかしい。
なんで私は、ピークの人ばかり選んでしまうのだろう?
聞けば、落ちぶれまくった元野球選手は、
起業家として奇跡の復活をとげて
このアパートから出て行ったらしい。
なんで、私が魂を交換した直後に
みんな事態が好転するのだろう?
そして、なんで私は
貧乏くじばっかり引かされるのだろう?
そんな風に頭を抱えていると、
また小人が目の前に現れた。
「どうです?
次は、誰と魂の交換をしてみますか?」
男は、やけになって、思いつくまま
魂の交換をしてみることにした。
有名なミュージシャン。
テレビで人気のタレント。
芸術家。
普通の勤め人だけれど、幸せそうな人。
などなど。
たくさんの人と「魂の交換」をした。
だが、なぜかしばらくすると
いつもおかしなことが起こり始め、
結局最後には、このボロアパートに
戻ってきてしまう。
そして、なぜか私と魂を交換した人は、
しばらくすると、また人生が好転する。
落ちぶれた経営者は、ミュージシャンとして
第2の人生を歩み、
大失敗したミュージシャンは、
その大失敗をネタにタレントに転身し、
人気のなくなったタレントは
誰も描けないような絵画を描きはじめ、
売れなくなった芸術家は、
ささやかだけれど、普通の家庭で
幸せな家庭を築いている。
なぜ?
なぜ私ばっかり、変な目に合うのだろう?
私と魂を交換した人は、
みんな好転していくのに??
小人は、やっぱり悪魔で、
私が失敗するのを、あざわらっているのか?
それとも、このボロアパートが
何か呪いをかけているのか?
なぜ?
なぜ?
と、そんな男の前に、また小人が現れた。
「さて、次はどの人と
魂の交換をしてみますか?」
男は、小人の淡々とした姿勢に怒りを覚え、
疲れ切った声で、小人を責め立てた。
「お前のせいで、人生はめちゃくちゃだ。
一体、何の恨みがあるんだ?
お前は一体、何者なんだ?」
小人は、黙ったまま答えない。
男はその後もしばらく小人をなじっていたが、
男は、ふと思いついて、
小人に聞いてみた。
「そういえば、
お前の名前を聞いたことがなかったな。
お前の名前は、なんて言うんだ?」
小人は、特に表情を変えることなく、
たったひと言、男に告げた。
「アリカタ」。