何かをする時に、
それは恐怖から来ているのか?
それとも愛から来ているのか?
は、とても大事なような気がする。
恐怖から欲するものは、
それがお金にしても、人にしても、
あるいは愛そのものだとしても、
手に入らないか、手に入れたとしても、
「もっともっと」
と際限なく求めるようになってしまう。
対し、愛情から欲するものは、
基本「欲する」というよりは
湧き出た結果、手にしているということなのだろう。
なのに、私はつい、
「トロフィー」が欲しくなってしまう。
自分のしたことに対する
誰かからの評価の証が。
「いいね!」がほしい。
仕事の成果のトロフィーとして
お金や、人に自慢できる何かが欲しい。
人と出会う時も、
その人を本当に尊敬し、
惹かれあって合っているのか?
それとも
「スゴイ人だから」
「美しい人だから」
「自慢できるから」
と、トロフィーのように欲していないかは
気をつけなければいけないように思う。
トロフィーを欲し始めると、私は
「トロフィーをもらえてない時の自分」に
焦りを感じたり、惨めな気持ちになったりする。
そして、どんなささいなトロフィーでもいいから
求めようとしてしまう。
褒めて欲しい。
自分を認めてほしい。
価値ある人だと言ってほしい。。。
それは、あまり褒められた姿ではないよな。
自分で決めた約束を
コツコツと果たしてゆくのであれば、
それは自分への信頼につながる。
でも、人からポジティブな評価を得るために
何かをしようとする時
それは本当に愛からか?なのかは
疑ってかからないと、私は私を見失う。
行動の根は恐怖からなのではないか?
トロフィー依存なのではないか?
相手に何かを提供したか?
交換条件で賞賛を得ようとしていないか?
さらには奪おうとしていないのか?
いや、いつもそんなに聖人ではいられないのは
自分自身、重々分かっている
たまにはトロフィーだっていいだろう。
ただ、
毎日の行動原理そのものが
「トロフィーを得るために」
になってしまっていたら、
その欲は満たされることなく、
「賞賛乞食」に堕すのが、なれの果てだろう。
ふと振り返ると、いろんな人に
そんなトロフィーを求める行為を
してきてしまったな、
と、思う今日この頃。
できることをコツコツとできる
自分になるのは、まだまだ修行が必要そうですわ。
がんばりまーす!
ではでは。